Quartette page7
ウルトシエの衣裳が血に濡れる。酒樽と形容される土妖精種族の中に満ちる命の雫(で真っ赤に染まる。
振り返るそこには、武人ウヅドの広い背中。宙空を舞うように転移を果たし、ウルトシエを襲おうとした一撃を変わり身に受けていた。
右肩口からザックリと、甲冑の上から切り裂かれる。幅広の蛮刀(の刃が完全に埋まり、鎖骨を持ってイカれている。右腕はもう使い物にならないであろう。いや、宙空と言う力の拡散し易い状況にあったから即死こそは免(れているが、どうせ近い内に全身が使い物にならなくなるであろう。
一秒、一瞬、一刹那――その度ごとに血から抜け落ちる力。それでも余力の全てを左腕に集め大斧(を振り回した。
足場の無い無安定さと、激痛による集中力の散漫、重い斧を扱うには足りなくなった膂力(、力の伝達能力に欠ける宙空と言う場。その全ての要因が見事に重なり合い、ウヅドの一撃は「必殺」から程遠くなっていた。
敵を断ち割く斧刃は切り込みを大きく傾(がせ、テインの準板金鎧(をゴッソリと削ぎ落とす程度の威力しか発揮出来無かった。
しかし、割削力として働かなかった残りの力はそのまま打撃力と化し、削がれ薄くなった装甲の上から、テインの肋骨をたっぷりと持って逝き、同時に内臓も少なからぬ衝撃を叩き伏せていた。
全身に加えた無理な力で、傷口から血が花咲かした。
重力に抗う術を持たない土妖精(種族は、そのまま床まで落ち、人形のように――そう呼ぶには些(かに不恰好だが――崩れて落ちる。
「ウヅドオオォォォ!!」
血溜まりに仰向けるウヅド。そこまで来て、漸くウルトシエの口から絶叫が解放された。同じく夫の名を叫び、その元へと駆け行くフェリアの姿は視界に入っていない。
「ウヅド!!ウヅド!!」
血溜まりに濡れる事を厭(う余裕さえも無く、膝を折り、愛する者の体を抱き起こそうと手を伸ばし――
「何を……しておる……」
その手を払われた。
「だって……だって……」
「フン……樹妖精(の小娘如きに涙を流してもらう程、ワシは腑抜けてなどおらんわ……!」
言われて、涙を流している事に気付いた。
「バ……!泣いてなんて無いわよ!!」
ゴシゴシと、慌てて涙を拭う。
「ならば……さっさと儀式を続けぬか……!」
泣き顔を見せない為に立ち上がり、ウルトシエは言われるままに魔神へと向き直った。
「いい、ウヅド?!これについてはまた後でしっかりと言及させてもらうから――死ぬんじゃないわよ!」
「フン……当たり前じゃ……小娘如きに言われるまでもない……」
血の気を失いながらそれだけ呟くのを聞くと、ウルトシエは中断していた儀式を再開する。
それを見届け……ウヅドは立ち上がった。ダラリと右腕を垂らし、ユラリと全身を揺らし。ドクドクと流れる血の量は、苦手な人なら卒倒してしまう程に多量であった。こうして立ち上がる事でさえ、短い命をさらに縮めてしまう事になりかねない程に。
せめて、その短い命を一瞬でも永らえて欲しいと願うのは、残酷な優しさだろうか?――例えそうであっても、彼女はやはり、そう願わずにいられず、
「どいて頂戴」
と言う言葉を放っていた。
構える得物(は本来武器には適さない物だが、素手と比べるならば遥かにマシであろう。呪文(で効果を上げられないならば、不適切な用途であっても甘んじるしかあるまい。
フェリアは、魔術師の杖(を馴れない手付きで構えていた。気を失う夫の前で、最後の希望が自分自身なのだと言い聞かせて。
彼女の前に立ち塞ぐ、寿命も間近なウヅド。
「悪いがな、嬢ちゃん……聞けぬ話じゃ……」
言葉に生気が無い。逆流する血が口から溢れ、凄惨に口元を濡らす。
痛々しいその言葉の直後、フェリアは両掌を絡め合わせて印を組み上げた。呪唱(を紡ぐのは同時だった。
「『魔力(よ その身を刃と化し 引き裂く者と成れ』」
短い、共通語(での呪唱(。彼女自身に内在する魔力が、掌中に収斂していくのが解かる。九大魔法(が第九位に位置する黒魔術(。その基礎魔術により解放される呪文(の名を、冷淡に吐き出した。
「"割刃("」
収斂した魔力が術者の呪唱(に忠実に従い、不可視の刃となる。それはウヅドの体を打ち、すっかりボロボロになった板金鎧(に刀傷を穿って消えた。
衝撃で、ウヅドの傷口から血が飛び散った。小さな呻き声を洩らすと、ウヅドはそのまま石床に片膝を突いた。
「もう良いじゃない……ウヅドは、どこまで不器用に生きれば気が済むの……?」
呪文(の解放と同時に印を解き、淋しそうな瞳でウヅドを見下ろした。
「解からないの?親友と敵との間で板挟みに遭う、テインの苦しみが……?
気付かないの?良識と我が侭の間で葛藤する、アタシの苦しみに……?
自覚はないの?正気と狂気の間で迷いあぐねる、ウヅド自身の苦しみに……?
届かないの?アタシ達への友情とウヅドだけへの愛情の間で泣いている、シェリィの苦しみが……?!」
苦しげに、法衣(の胸元を鷲掴んだ。苦しみに喘ぐ心を握り潰してしまえたら、どんなに気が楽か……。
フェリアの瞳に、大粒の涙が絞り出される。そして、自重に耐え切れず――頬を伝い流れた。形良く整った顎先まで緩やかな弧(を描いて滑り落ちると、あとは重力に逆らう事も無く、ポトリと床まで滴り落ちる。
「今なら……まだ、後悔をせずに止める事だって出来るはずよ」
「煩い……」
蒼褪(めた顔。いつもは酒気を帯びたように赤いウヅドとは、丸きり違うその顔色は、まるでそこにいるのがウヅドでは無いかのように現実味が無い。
「嬢ちゃんに、何が解かる?妻を、子供を、友人を、仲間を……全てを。一握りの愚か者の我欲の為だけに奪われたワシの気持ちが、嬢ちゃんに解かるのか?!」
「解かるわけないでしょう?!」
ウヅドの悲痛の叫びを、フェリアはたった一言の叫びで掻き消した。
「そんなの、解かるはずも無い!!そして、解かりたくも無い!!テインも、セシィも、フォーレンも、シェリィも、勿論ウヅドだって!!みんなみんな大事な大事な、痛くなるくらい大事な家族なんだから!!それを『失くした』時の気持ちなんて、解かりたくなんて無い!!だから、だから――だから!!!!ウヅドにこんな事をして欲しくなんて無い!!」
「………」
フェリアの――ウヅドよりもずっと必死で悲痛な叫び。大きく頭(を振り、涙を撒いてフェリアは叫んだ。
それを、薄れそうになる意識に思い切り叩き付けられて、ウヅドは言葉を失った。それでも……ウヅドは、自分の正直な気持ちを向き合えるだけの素直さが無かった。
(ワシは……馬鹿じゃ……大馬鹿……?いや、あまりに愚かしく……その愚かしさを言葉で表わせぬ程に……ただ、馬鹿じゃ)
「それでも……ワシは……止まる事が出来ぬ……」
「この……分からず屋……?!」
お喋りが過ぎた。思った時には、既に時は遅かった。その存在を誇示しようと急速に収斂する魔力の波。見えざる大気の流動が渦巻き、一つ所に集練する。
身の危険を感じた時には、既に体が反応する。魔術師の杖(を眼前に構え、口早に呪唱(を紡ぎ織る。
「『ΑccεπτΜyVοιcε,ΑνδΠροτεcτЮσ,CοβολΘεΩινγΟfΕνvελοπμεντ.」
本来の用途通りに魔術師の杖(で手馴れた構えを取ると、その前に浮かび上がる三角法陣(の魔方陣(。三つの正三角形が組み合わさる事で、一回り大きな正三角形を形作る。直線のみで形成される三角法陣(を囲むように、円形に呪紋(が絡み合っていた。
「丘の城にて我等を囲い給え!』」
至極短かな呪唱(。契約魔術(による呪文(。醇化魔力の古代獣(は"抱擁の翼"の異名持つコボル。作り出したる三角法陣(が白く淡く輝くと、フェリアは迷わず呪文(を解放する。
「"抱翼護囲("!!」
解放の言葉が発せられると、刹那の誤差も無く呪文(が成立して効力を遺憾無く発揮する。フェリアとテインとウヅドが、薄絹のような淡い白色の敷布に包まれた。
次の現象が巻き起こるのは、一瞬の時間を隔てた直後。
逆火現象(のように吹き荒れる強烈な魔力の奔流。鎮浮する異形から、魔力が爆発した。それは呪文(としてでは無くとも、確かな力となって四人を襲った。
その現象は、開封の儀が達せられた事だけを端的に報(せる現象だった――