Quartette  page6

「『Юνσεαλ……Ρελεασε……Βινδλεσσ……:……ΑρρανγεΤωοΦαισεσ……:……』」
 一つ一つを確かめるように、絞り出される呪唱キャストを追って。ウルトシエは踊り続けていた。かれこれ一と四半刻(≒二時間半)にはなるだろうか。踊る舞台は四角法陣テトラグラム。二重囲いの正方形に、45°だけ傾いて三つ目の正方形が内接する。その中に細かくビッシリと描き込まれる呪紋ルーン。魔法学に長けたものならば、それが強力な抗魔系呪文カウンター・マジックを作り出す為のものと知れるであろう。
 その、僅か2m四方の四角法陣テトラグラムの中で、ウルトシエは雑念の全てを捨てて踊り狂っていた。事実、彼女の意識は踊りに傾けられながらも、今この場には無い。
 ウルトシエの意識は闇の中へと向かって飛んでいた。しかしその闇は、黒でも白でもなく、ただ無色の世界が無限に広がる形而上けいじじょう的な夢想空間イメージ・スペース。その空間の中を出鱈目でたらめに飛び交う光粒子フォトン達。その粒子はそのまま封印の力を持つ呪紋ルーンの形而上的な存在を朧に表わしている。
 ウルトシエの意識はその中から適切な呪紋ルーンを素早く的確に、正確な手順に沿えるように選び出す。
 選ぶ一紋字が何を意味するかを読み取ると、体はすぐさま動き出す。
 選んだ一紋字とは対成す逆呪紋ルーンを、ウルトシエは全身を惜しみなく使って描き出す。そうする事で、封印の呪紋ルーンは一つずつ、その力を失って行く。
 より正確な道をなぞる程に刻まれる呪紋ルーンは強くなる。より正確な速度に倣う程に刻まれる呪紋ルーンは強くなる。より正確な意味を把握する程に刻まれる呪紋ルーンは強くなる。より正確な呪唱キャストを紡ぐ程に刻まれる呪紋ルーンは強くなる。そして、より強い呪紋ルーンを刻めばこそ、開封の儀式は正確に行なわれる。
 一紋字の不可視の呪紋ルーンを刻み終えれば、また次なる呪紋ルーンを選び、またその力を奪って行く。
 高らかに掲げた右手に光が宿る。それを縦一文字に緩やかに振り下ろし、床まで落とす。
 光が失せると、軌道を逆に辿って青眼まで戻す。
 再び光が宿る。それを次は、素早く左へ振る。
 右腕を水平に、左腕を垂直に。時にそれを逆に。ななめになる事もある。併せて全身が振り回される。したがうように髪が乱れ泳ぐ。続いて光を返した疲労の汗が飛沫しぶく。
 舞いの流れは淀み無く繰り返される。呆れる程細かな手順を踏んで、魔力の収斂に精神力を傾け続けながら、同時に次なる呪紋ルーンを探し当てて――。
 熱狂的で、それでいて扇情的なその一踏み一踏みが、まさか邪悪を解放する為の儀式だと誰が信じれよう?眼前に鎮浮する異形が無ければ、三人の旧友達も剣の代わりに酒でもみ交わしながら、魅入られるようにして見入っていたであろう。
 しかし、これは阻止せねばならない邪悪の儀式。だからこそフェリアは高らかな呪唱キャストを行ない、容赦無い強力な火系呪文ファイアを解き放った。それも結局は、何の効果を与えなかったが。
 ウルトシエを守ったのは四角法陣テトラグラム。本来は魔神の凶悪な魔力から解放者を守る為の物であったが、結果として外界から解放の儀を邪魔建てしようとする呪文スペルから儀式実行者を守る働きも果たしていた。
 フェリアの放つ火系呪文ファイア"焔獄煉火ムスペッル"は、ウルトシエの髪の毛一本も焦がす事無く、皮膚の薄皮一枚も焼く事も無かった。
 外界が真っ赤にけるが、四角法陣テトラグラムの中に熱量が進入する事の一切は拒絶され、ただ虚しく外界の温度だけを上昇させる。炎の抱擁が充分に失せてから、熱量を吸った温気が流れ入って来たが、ウルトシエはそれに気づく事は無かった。
 深い、深い精神集中コンセントレーション。それが外界から送られてくるあらゆる情報を無視させていた。目蓋の裏からでも真っ赤に焼く炎の色も、焼かれた空気の匂いも、流れ来る暖かい空気の肌触りも。そして、大音量のテインの怒声も、確かに放つ殺気も。全てを無視していた。しかし――
「ウルトシエエエエエェェェェェェェ!!」
 ウヅドの絶叫だけは、しっかりと聞き届けていた。
 ハッとなり、振り向いたウルトシエの視界は、赤く――紅く染まっていた。


 その日も、私は漠然とした一日を送っていた。樹木の腕に腰を下ろし、樹木の体に身を預ける。取りのさえずりに耳を傾け、葉の擦れ合う音に口吟みを併せ。  平和な一日。そして毎日。冒険者だった頃は欠かされる事の無かった仲間達との談笑で忘れていた、精霊達との遣り取り。命の危険に晒される事なく空を見上げる時間。忙しない時間ではなく、変わる事の無い空間。
 平和だった。良くも悪くも――と言いたい所だが、私としては悪い意味で。
 毎日の変化にとぼしいから、変わる事の無い同族との会話。精霊達はただ事実を述べるだけで会話が成り立たない。せめて鳥達と言葉を交わす事が出来れば、毎日を違った会話で楽しめたかもしれない。
 私を樹木の枝と勘違いしたのか、差し伸ばした右手の甲で羽を休める小鳥に、私は何か変わった事がないか?と尋ねた。使い慣れた樹妖精エルフ語で。
 チ・チ・チ……。喉を鳴らして囀る声は、決して私の問い掛けに応えたわけではなかった。応えたのであったとしても、私にはそれを理解するだけの言語能力は無かった。
 私は苦笑した。あまりの平和に、どうやら疲れているらしい。
「ウルトシエ」
 下から呼ばれた。
 何者かは声を聞けば解かった。しかし何事かは流石に理解するには到らず、私は相手の名を呼び返す事でそれに反応した。何、イルウッド?と。
「悪いが、樹扉じゅひまで行ってくれないか?」
 樹扉?村の入口の事だが、一体何があったのか?妖魔イヴィル属の群れでも迫ってきたのか――だとしたら、随分と落ち付いたものだ。
 その理由を問うと、イルウッドは苦々しく舌打ちを鳴らした。口にする事をはばかりたくなる語句を口にする時の、彼の直らざる癖だった。となると、「正人ヒューマン」だとか、「小鬼ゴブリン」だとかだろう。その「樹妖精エルフ至高主義」ぶりに辟易して、私も小さく舌打ちを零していた――昔の自分を鏡で見ているようで、鬱な気分になるからだ――。
「君に用があるそうだ」
 誰が?
「――土妖精ドヴェルグの下郎が……て、ウルトシエ?!」
 土妖精ドヴェルグ――その単語に自分でも驚く程鋭敏に反応した。イルウッドの言葉が出し尽くされるよりも早く、私は枝を蹴り、樹扉へと向かった。
 イルウッドが目を丸くして、鳥も驚いて飛び去っていた。
 私に会いに来る土妖精ドヴェルグ――心当たりが一つしかなく――イルウッドの呼び声を遠くに聞き――私は心臓の音が高鳴るのを必死に抑え――それでも落ち着きを取り戻す事など出来ず――気づいた時には、樹扉の前まで辿り付いていた。
 何かを遠巻きにするようにして集る、集落の樹妖精エルフ達。長老や両親、兄と妹の姿もある。どうやら、村人の大半が、この場に集まっているようだ。
 息が弾む。それ以上に胸が弾む。私は、呼気の乱れで胸の高鳴りを誤魔化しながら名乗りを上げると、何人かが私の方を向く。
 喋るよりも行動した方が早いと判断したのか、私の前の知人達が人垣を割って道を作った。
 その先に、人影が一つ。イルウッドからの情報通り、土妖精ドヴェルグ。薄汚れて汚くなった板金鎧プレート・メイル。巨大な大斧グレート・アックス。横幅な矮躯に強靭な筋力を秘めた酒樽体型。ヘルメットの下の瞳は半分に減っていたが、そのくすんだ黒色の瞳には、確かに見覚えがある。
「久し振りじゃの、小娘」
 口元を釣り上げて、ウヅドが開口一番軽口を叩いた。
 再会の挨拶は、何の用よ筋肉馬鹿と、努めて冷静クールよそおった憎まれ口。本当は、抱き付いて泣きたい程嬉しい癖にね……。
「おヌシにちょいと相談事じゃよ」
 相談事?テインやフェリアに持ちかける前に、私に?一体どんな用件が……?
 疑問に思ったが、やはり出てくる言葉は、何で私がアンタの相談になんか乗ってやらなきゃいけないのさと言う、至極冷めた言葉だった。
「そう言うな。悪いが、少し付き合ってくれぬか?この矢より先に入ると、おヌシの仲間が矢を射掛けてくるんでの」
 言われて成る程、ウヅドの足元には数本の矢が突き刺さる。恐らく、村に近付くウヅドに対して問答無用の警告として射掛けたのだろう。排他性も、この村は変わっていない。
 私は皆にウヅドの素性を簡潔に説明すると、大人しく――大半は「渋々しぶしぶ」と言った様子だったが――解散してもらった。それからウヅドを連れて、村から離れる為に森の泉へとおもむいた。
 泉に着くなり草靴を脱ぎ、足を濡らした。ヒヤリとした澄水が、危うく「二人きり」と言う状況シチュエーション火照ほてりそうになる私の頭を冷ましてくれた。
 それから、私は切り出した。その、用件とやらが何なのか。
 ウヅドは、至極冷静にこう言った。
「命を、根絶やしにしたい」
 私は、一瞬ウヅドが何を言ったのか理解出来なかった。
「口惜しい事じゃが、それはワシ一人では到底叶わぬ悲願。じゃから、おヌシの知恵と知識を借り――」
 そこで、強引に話に割り込む。私はウヅドの言葉が中断された事を確認すると、間髪入れずに聞き出した。何故、そんな物騒な事を考えたのか。
 ウヅドは、包み隠さず全てを話してくれた。滅ぼされた仲間の恨みを。人の醜さを。良心をも撥ね退ける人の欲深さを。自分自身への憤りを。復讐と言う物だけでは鎮まらない怒りを。
 全てを聞き終えて、私は全てを理解した。
――ウヅドは、私に止めて欲しいんだ。暴走する彼自身を。
 と。テインやフェリアのように、同情で判断が甘くなるお人好しじゃなく、同情は同情で判断の外に割り切れる冷淡ドライな私に先に相談を持ち掛けたのも、それが理由だろう。
「どうじゃ?」
 自分の愚行を理解していながら、それを自分の意思では止める事も出来ない――
 実直と愚直。それが同列に並ぶウヅドらしいとも言える、迷惑なまでの頑固さ。
 私に向けられる、期待するようなくすんだ瞳。手を貸して貰う事への期待よりも大きいのは、当然、止めて貰える事への期待――素直じゃないウヅドの事だから、口にすれば怒りと伴に否定するだろうが。
 私は、答えた。ウヅドの心の裏に潜む本当の気持ちを理解した上で。
 その回答に、ウヅドは一瞬以上の時間、驚いたように間抜けた表情を見せた。
 何を驚いているの?アナタが望んだ事でしょう?と、私は微笑んで見せた。
 たっぷりと時間を掛けて私の回答の意味を脳内に染み渡らせると――
 笑った。ニッと、ぎこちなく。似合わない笑みだった。私の方が笑いたくなる。
 ウヅドはこずえに立て掛けてあった大斧グレート・アックスを手に取った。
 泉から足を出して立ち上がった私に、ウヅドは言った。
「ならば、行くぞ。愚かなる命を滅ぼしに!」
 私はうなずいた。
 解かっている。私の選択がいかに愚かで、そしてウヅドの怒りがいかに理不尽か。私達は、絶対に間違えていると。
 でも――私はあらがえなかった。ウヅドが私を頼ってくれたと言う、その快感に。
 今だけではなく、これからもずっと頼って欲しい。そう判断したから、私は回答に「イエス」を使った。
 ウヅドは私の事を多分に誤解している。確かに私は同情で判断を誤った事はない。これからも誤るつもりはない。だけども、それは「いかなる時でも判断を誤る事は決してない」と同義ではない。
 私は、愛情で判断を狂わせる事があるのだから。
 私は狂愛に包まれた悦楽を心に、ウヅドの背中を追いすがった……。

to be continued...

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