Quartette page4
無駄だと言う事は解かっている。逆に有効だと言うのならば、それはそれで喜べないような事態だと言う事も。
それでも、しなければいけない。自分一人の同情に折れて、個人的な感傷に流されて、より多くの命を散らすわけにはいかない。何よりも、フェリア自身と夫との間に儲けた二粒の愛の結晶には、命を散らして欲しくは無いから。
そう思う事自体が既に個人的な感傷なのかもしれない。そんな取り止めも無い事でも考えていなければ、呪唱と精神集中(に乱れが生じてしまいそうだ。何故ならば――成功、失敗。そのどちらに転んでも、残るものは後悔しかないだろうと解かっていたから。
ならば、せめて「良識」と言う物に従おう。そんな小賢しい意見で纏めてしまう賢者(としての考え方が、今は無性に腹立たしい。
(アタシも……アナタみたいに自分の我が侭に忠実になれたら良いのに……。ねェ、シェリィ?)
フェリアはそんな事を考えなたら、右手の魔道士の杖(を眼前に構える。その先端で静かに輝きを納める水晶(に左手を添えるようにして伸ばすと、瞳を閉じる。そして、呪唱(に掛かろうとして開いた唇を、一瞬、苦笑で歪めた。
(駄目……って言うより無理か。アタシの我が侭は、結局どっちに付こうかさえ、決まってないモンね)
それきり、心の中から余念の一切を遮断(し、精神集中(に入る。
視界は闇で、心は無で染まる中。ただ魂だけが、何かを求めるようにと広く、広くと拡(がっていく。その「何か」が、具体を持たぬ力である事を誰よりも知るのが術者(。その力に具体を持たせる役を担(うのもまた、術者(だと言う事も、フェリアは知る。
薄っすらと桜色に染まる唇が、今度こそ呪唱(を紡ぎ織る為に緩りと動き出した。
「『ΑccεπτΜyVοιcε,ΑνδΣcρεαμ,JαvεΘεΗυγεΠyθονΟfΒλαζyCηαιν.」
皮切りは、言語を異にするその一文。後に続くのは、誰もが聞き慣れた共通語(の流麗なる言葉の連なり。
そして、フェリアの持つ魔道士の杖(の前にユラユラと創り出される小さな魔法陣(。大きさは10cm四方の正方形に過不足無く収まってしまう程度の、不思議と厚さを持たぬ二次元図形。形状は変則の五芒円陣(――五芒星(が円陣(に内接せずに、幾分に芒(が突き出している。その五つの芒を結ぶようにして複雑な呪紋(が連なり、円内周にも同様の呪紋(が飾られる真紅の法陣――。それはまるで言葉が幾条もの糸となり、一枚の敷布を織り成しているかのよう。呪唱(の進行が、そのまま五芒円陣(の完成への道となる。
それは契約魔術(と呼ばれる、九大魔法(が第三位に位置する高位魔術。醇化(された魔力のみが只管(に充満すると言われる夢幻界(。――夢幻界(の醇化された魔力が命となったと言われる古代獣(。――その古代獣(と契り交わしたる契約。――その契約を道標(に、古代獣(の持つ強大な魔力を借り受ける事で呪文(を行使すると言われる魔術が、この契約魔術(。
フェリアが契約せしめたる古代獣(は、"炎鎖の大蛇"の異名持つジャヴァ。その醇化魔力は炎。行使しうる呪文(は当然、火炎系呪文(。
「ここに顕(れしは終わりを齎(す炎。啖(らい尽くせ――此にある全てを』」
呪唱(が最高潮に達した時、五芒円陣(は炎を纏い、強力な魔力を収斂した。
呪文(が、完成した。
「"焔獄煉火("!!」
解放する為の呪言を、高らかに宣言する。解放される呪文(に、全ての魔力を乗せる。それは、同情(を乗せぬ為に。
爆炎が巻き起こる。巨大な熱量が突発的に生じ、冷やりとした空間の温度を一瞬で上昇させ、薄暗かった視界を真っ赤に染め変えた。
炎が渦巻いていた。フェリアの呪唱(に従って、用意された前菜(を啖らい尽くそうとして。真紅の蛇が啖らう生餌(は、開封の儀に向かうかつての親友――ウルトシエだった。
シェリィ……どうして……?
ウヅドの拳の一撃で崩れ落ちた夫を複雑な思いで確認した後、掠(れる言葉でアタシはそんな事を聞いていた。首に絡まる蔓(に締められて苦しくても、手足を縛る蔦(に関節を捩じ上げられて痛くても、子供達を捕える恐怖が耳にこびり付いて悔しくても――それ以上に、ただ「信じられない」と言う気持ちだけをより強くして。
あたしの言葉に、シェリィが視線を外した。哀しみで満ちる、青い瞳を。
――ああ、そうか。理解しているんだ。後悔しているんだ。自分がしている事を……。
じゃァ、どうしてこんな事をするの?疑問として胸中に込み上げて来るだけでも、それは馬鹿馬鹿しい質問だった。
だからアタシは確信を目一杯に含めて――でも、形だけは質(すように呟いた。ウヅドの為ね?と。
一瞬だけビクリと肩を震わせたのを、アタシは見逃せなかった。シェリィはアタシに背を向けると、まだ小さく震え続ける自分の肩を苦しそうに抱き締めながら、消え入りそうな言葉を漏らした。
「御免……ね……」
その言葉は、謝罪の言葉ではなかったのかもしれない。ただ自分の所業に許しを乞うているだけの、哀れで気弱な羊の鳴き声だったのかもしれなかった。
精一杯の言葉の余韻も、子供達の泣き声に散らされる。
「行くぞ、小娘。――嬢ちゃん達には悪いが、もう暫らくそうしていてくれ。ヒヨッコが目を覚ませば、助けてくれるじゃろうて」
ウヅドは、そう言い残した。
去り行くウヅドの背を追おうとする瞬間、シェリィはもう一度だけ洩らした。
「御免ね……」
――痛かった。人の持つ愛情が、これ程に痛々しい物だとは知らなかった。
Love is blind... 自分自身の苦しみや傷みからさえ目を背けてしまえるその愛は……もしかしたら、「狂気」なのかもしれない。
愛に狂ったシェリィを、しかし結局、アタシは憎みきれていないのだと思う――。