Quartette page2
「魔の森」と飛ばれる、鬱蒼とした大樹林帯。捻りの無い命銘(ではあるが、それが故にその本質が垣間見える。
ここでの草木と枝葉と実と葉の茂りは、自然の造詣と呼ぶにはあまりに奇異に掛け離れる。
そこは闇妖精(種族の安寧(の地であり、昼の最中(にあっても魔人(が飛び交う魔性(の領域であり、地に縛られるが理(であるはずの植物さえもそこかしこで徘徊する隔絶の自然だった。
その「魔の森」の奥深く。日の光さえも立ち入る事を忌み嫌うように闇が鎮座する一角。地下へと伸びる坑道がひっそりと在った。それはまるで、地獄へ伸びる大蛇の口のようだった。つまり、喰われてしまえば胃で溶かされ、抜けてもそこは地獄と言うわけだ――勿論、そう言った具象観(が先行するだけで、真実の程は定かではないが――。
坑道には幾重(にも枝分かれがあるが、松明(を掲げればそのどれもが行き止まりだと目視出来る程度の奥行きしか持たない。つまりは概(ね一本道と言うわけだ。
高さもバラバラなら道行きも不安定で捩(じりくねった坑道を抜けると、几帳面に区画化された大迷宮(へ到着だ。ここは冒険者の仲間内では長らく「願望の大迷宮」と呼ばれていた古代遺跡。
「その奥深くには、あらゆる願望を一つだけ叶えてくれる秘宝が在る」と言う火元不明の噂は、一獲千金を狙う冒険者達の夢と浪漫(に火を付けるには充分な火種だった。
だが、冒険者の多くは夢半(ばにして果て逝った。まず、この大迷宮(に辿り付く事自体が困難だった。次に、大迷宮(に張り巡らされた狡猾な罠(に喰われた。最後に無尽蔵に襲い来る魔人(を前に力尽きた。
運良く最下層である第十層に辿り付いたとした所で、何処を調べても金貨の一枚も無く、先へ進む道も見出せなかった。骨折り損の草臥(れ儲けと言うにしても、酷な話だった。
そしていつしか、この大迷宮(に関する記憶は冒険者達の記憶から忘れられて行った。
しかし今、この「願望の大迷宮」の最深部で、四人の男女が対峙していた。第十層――では無く、更に奥深い第二十三層目の地下。過去の冒険者達が第十層より下への階段を見付けられなかったのも至極当然だろう。彼らは、第一層から第十層までは虱(潰しに探し回ったが、逆に言えばそこまでしか調べていなかったから。第十一層以降への道は、自然の坑道で幾重にも枝分かれていたその一つの道に、酷く巧妙に隠されていたのだ。言うなられば、第一層から第十層までの大迷宮(は、壮大なる囮でしかなかったのだ。
四人が対峙するのは、眩暈(を覚えるまでに巨大な空間だった。床から天井までの高さは優に10mはある。面積は、幅にして200m、奥行きなら300mはありそうだ。最奥部には立派な祭壇があり、入口からそこまでを、豪奢(な白亜の柱が導くようにして左右に立ち並ぶ。
日の光の届かない地下の大空間をそれだけ見渡せるのは、床・天井・壁が光を発していたから。空間を支配する光は、光石の放つ淡い緑色の光。その光は、祭壇の上で不安定に浮遊する巨大で歪(な球体をも照らしている。それを照らす光は、謎の球体自身が放つ淡い金色の光で掻き消されていたが。
球体は、円輪(に似た円形法陣(十三個によって形作られていた。或る物は緩(りと、或る物は忙(しなく。或る物は規則正しく、或る物は不規則に。思い思いにたゆたいながらも互いに知恵の輪のように絡み合い、一つの歪つで奇怪な球体を形作っていた。
その球体は魔力結界。積層型の封印結界(によって、物質世界(と異世界(とを結ぶ中間座標に酷く曖昧な一つの監獄を作っていた。監獄の名は、夢幻牢(。事実上、古へ(の神であろうと封じ得る強力なる魔力結界。抗う事が無意味な程に強力でありながら、抗う事さえ許さない虚世(の結界。
その監獄に繋がれる囚人は、一つの異形の生命。異形は、魔人(だった。それも、大迷宮(を徘徊する下位(種や中位(種、上位(種では無く、さりとてそれらを凌駕する王位(種でもない。更に凶悪な魔力を有し、王位(種さえも下僕とする事もある、神位(種だ。
四肢を折り畳んだ姿は産まれたばかりのような赤ん坊のようでありながら、異形を孕む卵のよう。丸まったその本体だけでも優に2mの高さを有している。
全身を包み込もうとする翼は、蝙蝠(の羽根に似た外郭に、竜鱗(が鳥の羽毛のように折り重なって作られた翼。禍々(しくも力強いそれが全部で八枚、親鳥が卵を温めるようにして魔神(を包み込んでいた。
その魔神は眠っていた。彼(の者にとって無縁なる物質世界(と彼の者の故郷である魔人世界(との狭間の中で。全身が透(けているのは、物質世界(に存在しながら存在しないと言う不安定な立場にいるが故。
魔神の名は、"命の叫び"とも"命を遍(く司(る"とも、もっと端的で的確に"死神"とも呼ばれるリーヴスラシル。歴史書を丁寧に紐解けば、一夜にして一国の命を枯らし尽くしたと綴られている事に気付くだろう。
この大迷宮(にあると謳(われた秘宝とは、この封印の魔神。「解放者の願いを一つだけ叶えよ」と言う制約系呪文(と共に封縛された魔神がそれに見合うだけの魔力を有している事には、史実を読み取った上では疑うべき余地も無い。
その、物質世界(の生命とは決して相容(れる事の無い秘宝を前に、四人は対峙していた。
一人は、正人(種族の壮年。名は、テイン。二十年前の騎士徐君を機に「アドヴェール」の姓を戴いており、テイン=アドヴェールと言うのが現在は正式な名だ。今では王国騎士団"王国の剣"七番小隊長と言う、農家の出自であり冒険者上がりと言う経歴の持ち主としては、前代未聞の叩き上げ出世を果たしている。その前歴の証が白光を放つ魔法の蛮刀(であり、地位の証が銀色の準板金鎧(の胸に紋取られる隊旗である。
テインは手に馴染んだ蛮刀(を油断無く構え、間合いを取る。髪の色は褪(せ、顔には幾つかの皺を刻みながら、険を孕んだ瞳だけは精悍さを忘れていなかった。
一人は、土妖精(種族の重戦士(。名は、ウヅド。鈍重そうな体躯の内には、驚異の筋力が秘められている。頭の先から爪先までを隈(無く鎧う板金鎧(は、使い込みの深さを物語るようにして所々で傷を刻み、動きの妨げにはならない程度の凹(みを有している。巨大な大斧(は、ただ「殺戮」の機能美にだけ優れており、まるで次なる獲物を焦がれているように光を返している。
ウヅドも同じく馴染みの大斧(を腰溜めにし、気迫だけでテインを圧する。二十年前には揃っていたはずの眼球は抉られた痕(が生々しく残り、今では右目のみの隻眼となっていた。
一人は、狐人(種族の美女。名は、フェリア=リーフ。否、十八年も前から、フェリア=アドヴェールと姓を変えていた。見た目こそ十九歳程度の女性として騙されそうだが、既に四十路(に手が届く寸前であり、十四の娘と十の息子と長年連れ添った夫の世話する主婦である。しかし今はその肩書きを捨て、碧玉の飾りが施された導師の法衣(と、導師級(の術者(――それも、理論派の術者(では無く実践派の術者(だ――にだけ許された魔道士の杖(を携(えている。
フェリアは、魔道士の杖(を眼前に晒し呪唱(を紡ぐ。魔道士の杖(の前に、薄く小さな円形法陣(が形作られ、強力な魔力の収斂(を開始する。
一人は、樹妖精(種族の美女。名は、ウルトシエ=リィルポルメ。緑色を基調にした草染めの衣裳(は、簡素だが清潔感に溢れ、飾り気が無いが、故にその妖精の美しさを際立たせる。装飾品(で身を飾らずとも、若木のようにしなやかな四肢、朝露のように潤(い濡れる唇、夕陽に映える稲穂(のように輝く長い金髪、桜の花びらのように薄(っすらと色付く美貌。その全ては、自然のままで――二十年前と変わらず――美しい。
ウルトシエは、3m四方の四角法陣(の中で、複雑な身振り手振りを踏まえた呪唱(を行なっていた。何処か神懸(かり的な狂おしい演舞は、そのまま魔神(開封の儀式魔術(へと直結していた。
かつては生死と苦楽に肩を並べた者同士の四人が、今はこうして険悪な雰囲気の中で対峙していた。共に歩み寄る余地が無い事は、過去に果たした再会で知っていた。