Quartette page1
昼の町外れ。日の光の下。四人の男女が対峙していた。とは言っても、険悪な雰囲気が漂うわけでは無く、ただ別れて向かい合っているだけだったが。
一人は正人種族の青年。見た目通りなら二十三歳くらい。長身だが目立つほど際立っているわけでは無く、目鼻立ちは素朴だが、どこか精悍さがある。手入れの行き届いた銀色の板金胸当て(を着込み、冒険の中で手に入れた魔力強化(された蛮刀(を腰に携える姿は、一端(の剣士(として恥じる事の無い威風を堂々と身に付けている。
一人は見た目なら十二歳程度の少女。見た目は正人(種族と似ているが、際立って違うのは栗色(の髪の間から覗く三角形の耳と、形良いお尻から伸びるフワフワとした尻尾。狐の耳と尾(は装飾品(では無く自前の体の一部。獣人(属と呼ばれ、特に狐人(種族と分類付けられる少女は、実際には見た目よりも年を食っており実年齢は十九歳。年齢に対する体の成長が正人(種族よりも遅いのが獣人(属の特徴だ。黒色の法衣(には、手練(の術者(の証たる紅玉の飾りがキラリと光る。
一人は矮躯ながらに横に広い、酒樽のような体躯の男。顎に豊かに蓄えられた髭の合間から、突き出るような団子鼻。彫りの深い顔には、同じく深い皺が幾つも刻まれる。ともすれば小人(種族の老人のようにも見えるが、土妖精(種族としてはまだまだ若さの盛り。板金鎧(は全身を覆い、呪文付与(された大斧(は背丈(を超えるが、彼の行動を妨げる事は一切無い。重戦士(の名は、そのまま彼の全てを現わしている。
最後の一人は、あまりに浮世離れした美女。樹木に寄り掛かる姿はがそのまま英雄譚(に出て来る
姫君のような佇(まい。斑(模様の木漏れ日を化粧のように映す姿はどこか儚げで、溜め息混じりの吐息を溢してしまいそうになる。長く尖った特徴的な耳を持っているが、見た目はどう高めに見ても二十代半ば。だが、実年齢はすでに百を超える。それでも、寿命を超越した樹妖精(種族としては赤ん坊同然の年齢。緑を基調とした衣裳の胸に描かれる枝葉の幾何学紋様は、樹神信奉者(としての証だった。
正人(種族の青年と狐人(種族の少女が並び、土妖精(種族の男と向き合う。それを木陰で眺めるのが樹妖精(種族の美女。
「じゃァ、ここでお別れだな」
そう言って右手を差し出したのは、正人(種族の青年。穏やかな笑顔なテインは別れを惜しみながらも、涙で別れを濡らすような事はしたくないと思った。だから涙は一切見せない。それはきっと、種族を異にする友も同じ事だろう。
テインの綺麗に切り揃えられた黒髪が、風に任せるようにサッと靡(いた。
「おう。おヌシも元気でやれよ、ヒヨッコ」
テインの右手を、土妖精(種族の男の無骨な掌が握り返した。言って浮かべたウヅドの笑顔が不敵で好戦的だったのは、照れ臭かったから。奥底に隠した最大限の賛辞と幸せな先行きを願う優しさを、目の前の青年なら解かってくれるであろうとウヅドは思った。七年もの月日を、苦楽だけでなく生死も共にした仲だ。言わなくとも、心が確かに通じ合っていた。これが、友情と言う物なのだなと。どこか恥ずかしげに胸中でこぼした。
テインの磨き抜かれた板金胸当て(姿も七年前の駆け出し時分のような不恰好さが無くなって、すっかり馴染んでいた。きっと今では、板金胸当て(を身に付けていない時の姿の方が違和感を覚えるのだなと。そう思うと、やはり別れが惜しくなるので、軽く頭を振ってその思いを消し去った。
「ちょっと、オジさん。テインは半年後には、立派な王国騎士団なのよ?好い加減、ヒヨッコ扱いは無いんじゃないの?」
こちらは涙を抑える事が出来ない狐人(種族の少女。幼い瞳に涙だけでは無く非難の色も秘めていたのは、本当はウヅドがテインをヒヨッコ呼ばわりした事に対してではない。この先ウヅドの「ヒヨッコ」の言葉が聞けなくなる事に非難を込めているのだ。
フェリア=リーフはまだ信じられなかった。ほんの二ヶ月前までは、いつまでもいつまでも四人一緒に冒険者を続けて、笑って、泣いて、喧嘩して――そんな毎日が続くのだと思っていた。しかし、ひょんな事から王国の危機を未然に防いでみせた事で、テインは予(てからの夢であった王国騎士団への入団を許された――その騎士叙勲は、暫らくは王都の復興やその他の雑務に追われる事に成るので半年後に先伸ばされる事となっているが――。
それでも、フェリアはみんな一緒に王都に住んで、いつまでも離れる事は無いと信じていた。だが……ウヅドは故郷へ帰ると言った。彼の目的であった土妖精(種族以外の人間観察も彼なりの結論を得るに到り、もう人間社会で暮らす意味が無くなったから。何より、七年間も集落に放ったらかしておいた妻子が懐かしくなったから。テインの騎士叙勲を機に、冒険者から足を洗おうと決心した。
見た目が十二歳だからと言っても中身は十九歳。ウヅド自身が決心した事を自分の我が侭で変えてしまって良いわけが無い。自認していたから、泣いても、非難しても、「帰らないで」と口にする事は、結局無かった。
「騎士と言っても、下っ端じゃろ?まだまだヒヨッコさ、嬢ちゃん」
そう言ってから、フと思い付いたかのように後を繋げた。
「全く……嬢ちゃんはヒヨッコの事になると、いつも必死じゃのう」
と。意地の悪い笑みを張り付かせながら。
そんな彼の言葉にテインとフェリアが同時に顔を紅葉のように赤くしたのを見て、これが最後だと言わんばかりに豪快に笑った。
「じゃ、ワシはそろそろ行くとするわい」
一頻(り笑い終えた後で、自身あまり口にしたくは無い言葉を出した。
「おい、小娘。おヌシも行くんじゃろう?途中までくらい付き合ってやるぞい」
慌てて樹木に寄り添う樹妖精(種族の美女に振り返ったのは、言葉と同時に涙が滲みそうになったから。
美女は疲れたように身を離し、日の当たる場所まで歩いた。日に照らされたウルトシエ=リィルポルメは、差し詰め美の女神だった。
「付き合ってあげるのはウヅドじゃなくって私の方よ。本来なら高貴な樹妖精(たる私が醜い土妖精(と一緒に肩を並べてやる事なんてないんだから。冥土の土産と思って咽(び泣きなさい」
高見からウヅドを高慢に見下ろしながら、ウルトシエは言った。答えるウヅドは。
「フン。樹妖精(の小娘が何を偉そうに。ワシとて本当なら酒が不味(くなるようなおヌシら樹妖精(の顔なんぞ見たくは無いが、この七年間のケジメとして付き合ってやるだけじゃわい」
憎まれ口の叩き合いだった。だがそこには、七年前の初冒険時のような険悪さは無い。今では樹妖精(種族と土妖精(種族の頑固なジャレ合い、と言った所か。テインとフェリアは顔を見合わせると寂しそうに笑った。この悪態の付き合いも見る事が出来なくなってしまうのだと思うと、寂しいから。
「ヒヨッコ。ちょっとこっちに来い」
いつもの格好だけの憤慨の表情でウルトシエから視線を外し、ウヅドは少し離れた場所に移動しながらテインを手招く。何か?と不思議に思いながら近付くと、いきなり首元に飛び付かれ、丸太のような太い腕で首を締めら(れた。40cmも違う身長差で掛けられる首締め(は、高低によらず厳しい物があった。
「ヒヨッコよ。嬢ちゃんとの子供、産まれたら一度ワシにも見せろよ」
「バッ!!」
耳元で囁かれた突然の言葉に、テインは言葉を失った。ウヅドは締め(た首が赤くなるのを見て、また豪快に笑った。
「……何の話してんのかしらね?」
ウヅドの馬鹿笑いを遠目に見ながら、ウルトシエは呟いた。会話の内容を知らない当事者のフェリアは、「さァ?」と小首を傾げて相槌を打った。
それから徐(ろにウルトシエの顔をジッと見た。ウルトシエもそれに気付き、怪訝そうに眉根を顰めた。フェリアは、単刀直入に言葉を吐いた。
「良いの?」と。簡潔に。簡潔過ぎて却(って言いたい事が伝わらない。自覚していたから、フェリアは更に続ける。
「ウヅドの事。諦めちゃって良いの?」
一瞬流れる沈黙の時間。ウルトシエはそっぽを向き、震える声で応えた。
「何の事かしら?」
「恍(けないでよ。そりゃ、アタシはシェリィよりもずっと人生経験短いけどさ。女心を読むくらいの経験は持ってるのよ?隠したって無駄よ」
ソッポ向いた方へとわざわざ回り込み、フェリア。ウルトシエは、観念したように胸の内をか細く溢した。
「……仕方が無いのよ……。私は樹妖精(で、ウヅドは土妖精(。私の想いは一方的で、ウヅドの想いは妻子に向かう。……自分の幸せの為に想い人の幸せを壊せる程、私は強く無い。だから……黙して語らず、去ってしまうのが一番なのよ……」
それは、フェリアに言って聞かせると言うよりも、自分自身に言い聞かせるように。そうでもしなければ、自分の胸の内をウヅドに吐露してしまいそうで。
不器用だと思う。欲しい物なら奪い取ってしまえば良いと言う女性も多い中で、こうして耐えて行こうと言うウルトシエの想いが。でも、そう言う不器用さを持っているのは彼女だけではない。ウヅドの場合はもっと顕著に、テインにだってそう言う不器用さがあったし、フェリアにだってあった。だから――ウルトシエの気持ちを「意気地無し」と罵るような事は決してしない。
「それならそれでも、シェリィくらい残ってくれたって」
「ここに残ってるとさ。もしかしたら、ウヅドが遊びに来るかもしれない。その時も、今みたいに耐える自信は私には無いから……物凄く自分勝手だけどさ。フェリアやテインとの別れも惜しいけどさ。……私は樹妖精(の森に帰る。だって、忌み嫌う樹妖精(の集落にまでなら、わざわざ喧嘩仲間に会いになんて来ないでしょう?」
そう言って笑ったウルトシエの笑顔は、崩れてしまいそうなくらいにぎこちなかった。フェリアは初めて、年齢関係を逆して、姉に成ったような心持ちでウルトシエを抱き締めた。
四人は、それから間も無く別れを告げた。互いに見えなくなるまで手を振り続け、見えなくなってからも「もしかしたら」を期待して、暫らくは見えもしない互いを探り合って。
それが、二十年前の事――