天秤 ―Is more Fright? or Love?―
3rd chapter

 明日はマリア姉ちゃんとリーン兄ちゃんビルアレイ君と一緒にママの誕生日の御祝いを如何しようか考えてから、明日の明日にはママの誕生日をお祝いして……。
 今日の夜、寝る前に予定していたプランが、頭の中をグルグルと回る。それを整理したくても、混乱に混乱を重ねたティプラの頭は、それを許してくれなかった。
 今にも一雨やらかしそうな雨雲が夜空を覆い、月とその眷属の姿を包み隠す、不吉な夜の闇。
 泣き出してしまいそうな心境だったが、父の力強い腕に抱かれ、太い首に回した腕にギュッと力を込めれば、辛うじて涙と嗚咽は我慢できた。
「あなた……足が……疲れた……」
 妻の言葉に、カトスは不覚にも今頃、ずっと自分のペースで走っていた事に気が付いた。
「悪い、ラファ。あいつらから逃げる事で精一杯で、気付いてやれなかった」
 心の底から申し訳なさそうに謝り、スピードを少し落とした。
 三人は今、町の外へ向かって走っていた。慣れ親しんだ海と港とは逆の方向だ。港は、見慣れぬ船舶とそれに乗る暴漢達に占領されているらしい。海賊だ。
 漁師仲間や、知り合い達も、散り散りになりながらに逃げ出しているはずだ。カトスにできる事は、彼らの無事を祈る事と、家族をその手で守る事だけだ。「町」その物を守るのは、本国から派遣された騎士と衛視の仕事だ。
 娘には力強く「大丈夫だ。安心していろ」と励ましながら、それでも足を止める事はなかった。
 両隣を家並みに挟まれた裏道に入った。町の喧騒と、炎の色合いが遠退いていくのを確認し、漸く人心地付いた事を確認できたような気がした。カトスは足を休め、ラファと共に壁に凭れ掛かった。
「ここまでこれば……大丈夫だろう……」
 背中を壁に預けながら、踏ん張り利かない両足が折れ、そのままズルズルと腰を落としていく。
「パパ……パパ……」
 ガタガタと震えながら、ティプラは呟いていた。こう言う時頼りにされると、――非常に不謹慎ではあるが――父として、嬉しくも思う。だが、変わらず「大丈夫だよ」と励ますしか講じようの無い自分自身に、腹立たしくもなる。
「お、いたいた」
 突然、裏道の入口から、声が聞えた。ギョッとして、声に視線を向けると、松明の光に照らされて、シルエットが五つ伸びていた。
「絶対逃げてると思ったんだよ。港に船を置いときゃ、外に向かって逃げるってな。町の方は手下どもに任せて正解だったゼ」
 五人の中央に陣取る小太りの小男が、ガッハッハと豪快に野蛮な笑いを飛ばした。黒い海賊服に黒い海賊帽は、どこかで規格統一されているのかと問い尋ねたくなる程、小男が何者かを知らしめてくれる。そんな滑稽さも、右手首から先が、掌の変わりにハルパーに取って代わられると言う事実の剣呑さで、綺麗サッパリ拭き取ってくれる。フック船長ならぬハルパー船長か。
 他の四人は皆、また一様に統制取れた不統一な下っ端海賊ルックな男達だった。手には、それぞれにハルパーを携えている。この海賊団は、ハルパーを標準装備しているようだ。
「でもキャプテン。キャプテンのさっき言ってた通りなら、こんな小汚い連中じゃなくって、もっとこう、いかにもな『貴族令嬢とその召使い』がこう言った所に逃げ込んでいて、召使いはその場で殺して、小娘取っ捕まえて身代金を要求する手筈だったんじゃないですかい?」
 ガン!
 右手のハルパーの腹で手下の鼻面を打ち、海賊船長はこう言った。
「良いんだよ!こう言うのは、結果だけが物を言うんだ!貴族令嬢だろうが小汚い小娘だろうと、金になりゃァ問題無い!!」
「で、でも、キャプテン。こんな年増のオバハン、売ったって大した金にゃァなりやせんゼ……」
 ガン!と、もう一度、同じ所を殴られた。
「馬鹿かオマエは。年イったオバハンなんかにゃ興味はねェ。金になるのは、そっちの方だ」
 言って、左手の人差し指で、ティプラを指差す。ティプラには海賊どもが言っている下卑た会話の意味はわからなかったが、自分に何かの矛先が向いた事だけは理解できた。一層強く父に抱き付き、恐怖に震えた。
「でも、こんなションベン臭いガキ、買い手が見付かるンですか?」
「オマエは、本当に頭悪いな……。金持った連中ほど、歪んだ趣味を持っているんだよ。サディストにマゾヒストだけじゃなく、ロリコンやソドミィも、大概は外面的に富裕な連中ばっかだ。物欲が満たされているモンだから、精神欲が歪んじまうんだよ」
 野蛮な海賊、卑小な外見のわりに、随分と哲学的な奴だ。海賊なんて力ばかりの馬鹿ばかりだと高を括ったのが間違いだったか……。カトスは、自分の浅はかさを呪った。人の集団を纏め上げる人物が馬鹿では纏まる物も纏まらない。本当に、カトスは浅はかだった。
 更に、カトスは浅はかな行為に移った。
 娘を妻に預けると、「逃げろ」と一言だけ告げて、鉄棒を武器に海賊船長に殴り掛かった。格闘術を学んだ事など一度も無かったが、町の酒場では屈強の町の男達相手に何度も大立ち回りをして培った喧嘩の実力に自信があったのだ。こんな小男など、一捻りに……
 できなかった。突き出した鉄棒は、ハルパーで軽く往なされ、次の瞬間には、ズンと重い衝撃を腹部に味わった。
 一歩、二歩と後ろに下がり、妻と娘の手前まで下がった所で、その巨体を支え切れずに、前のめりに倒れた。海賊船長の左掌底の一撃が、腹部に減り込んだのだ。所詮は参ったの一言で終わってしまうような喧嘩の域を出ない戦いにしか身を置いた事の無いカトスでは、荒くれを纏め上げる海賊船長に敵うわけが無いのだ。これは、致命的な判断ミスだ。
「馬鹿か貴様は?貴様如きがこの"鎌の手の"ボドギー様に敵うと思っていたのか?!」
 ベッと唾を吐き棄てて、海賊船長=ボドギーはせせら笑った。
「チャッチャとそのガキ捕まえろ。他の所も当たって、金目の物と金になりそうな女と遊べそうな女を見繕わにゃァならンのだ」
 ボドギーの命令で、付き添う四人は「ヘイ」と一言返してラファとティプラへと近付いた。
「い、いや。近寄らないで!ティプラには、指一本だって触れさせないんだから!!」
 震える体を精一杯鼓舞して、ラファは海賊達から庇うようにして、娘を体一杯に抱き抱えた。
「邪魔だよ。どけ」
 ガン!!と薄暗い通りに、乾いた音が響いた。先頭に立つ男が、ラファの頬を拳で思い切り殴った音だ。ティプラを抱く腕から一瞬力が抜け、ラファは娘を置いて裏通りを挟む壁にぶつかり、崩れ落ちた。
「ママ!!」
 ティプラは、海賊達から逃げるではなく、母親の身を慮り、その場に駆け寄った。
 体はグッタリとしていたが、意識は保っていた。娘を守ろうとする強い母性の本能が、ラファ自身にも思いも及ばない抵抗力を与えていたのだ。ラファは小さく、「ティプラ……」と呟いていた。
「このガキ!!チョロチョロするな!!」
 子供特有のすばしっこい動きに苛立って、男が歩幅を大きくしようとした時、ガクンとその歩みを止めた。見ると、カトスが男の足首を丸太のような腕で握り付けていた。まだ腹部に強烈な激痛が疼いて止まない為、大した力は入らなかったが、元々の力が強い。僅かな時間だけ足止めするなら、充分な力が入っていた。
 しかし、その力も所詮は僅かな時間稼ぎにしかならない。男は無言でカトスの蟀谷を爪先で蹴り飛ばして、その束縛を解放する。
「パパを苛めるな!!」
 ティプラの可愛らしい怒声が、裏道に響いた。恐怖でガチガチと音を鳴らす歯の根。涙が溢れてクシャクシャになった顔。それでも必死に、ティプラは叫んだ。大好きなパパとママを守るんだ。健気に勇敢を振り絞って、ママの前に仁王立ち、パパを苛める男を睨み付けた。
「ガキが……。いっちょまえに粋がってンじゃ」
 バガン!!
 突然、男の背後で爆発した音。緊張を孕んだ面持ちで、四人が一斉に振り返ると、そこにあったはずの木箱が粉々に砕け、木屑と化していた。
「な……んだ?」
 呆然と、海賊の一人が呟いた。
「まさか……」
 勘の鋭い一人が、恐る恐る、金の種である少女を見遣った。やはり、恐怖を必死に押さえ込む、健気なだけの少女にしか見えない。
「ティ……プラ……?」
 カトスとラファが、同時に呟いた。
「わたしのパパとママを苛めるな!!どっか行っちゃえ!!」
 もう一度叫ぶと、二度目の爆発音が響いた。今度は壁の一部が抉れ、穴を穿った。
「このガキ……」
「ギフト・オーナーか?」
 予想を口にした時、四人の顔に恐怖の色が浮かんだ。ギフトを持つ者は、神に選ばれし者。それだけでどこか逆らい難い、畏怖が付き纏う。それに付けて、目の当たりにした「破壊」のギフト。海賊達が恐れるのも無理も無いのだが……。本来、ギフトは人にとって、直接的な恐怖は無いのだ。何故ならば、
「うろたえるンじゃねェ!!」
 尻込みする部下共に、ボドギーの一喝が飛んだ。
「で、でもキャプテン……あのガキ、ギフト・オーナーなんですぜ?しかも、破壊の力の……」
 唐突に訪れた死と生との境界線を前にして、真っ青になる部下の一言を、ボドギーは「フン」と鼻で笑い飛ばした。
「ギフトなんてモンは、恐ろしいもンじゃねェ。確かに、巨大な岩をドロドロに融かしたり、大陸間を一瞬で渡ったり、見えるはずの無い物を見たりと、傍から見りゃぁ神の恩恵か悪魔の所業にも見えるけどな。ケドあれは、無生物にしか利かないんだよ」
 言って、ギフト・オーナーであるティプラを嘲りを含めて睨み付けた。
「まァ、正確に言えば、自分以外の生物にはその力が極端に落ちるって事だけどな。あの武装国家ディスト=フォルシォン王宮付きの破壊のギフト・オーナーだって、酒場の一つをぶっ壊してクレーターに出来たって、人間に対してできるのは、精々打撲を与える程度。ギフトってのは、無生物に対してのみその本来の力を発揮できる物なのさ」
 その通りなのだ。ギフトは不思議と、例外無く生命体に対しては、その威力を低下させる。瞬間移動のギフトにしても、自分自身や物ならば五十キロ程度の距離を運べても、人間を含む犬・猫・鼠であろうと、一センチも移動させる事が出来れば大した物。本来の力の半分どころが1%も出せない。「ギフトとは、人を脅かす物ではない。神様はそれを言いたくて、生命に対してその力を発揮できないようにしている」と言うのは、神職に就く者達の言い分だ。
「もしも俺達に骨折でもさせる事が出来りゃァ、このガキは人間じゃねェ。御伽噺に出てくる魔王か魔神か。どっちにしても、国の一つくらい楽勝にぶっ壊せる、常識外れの化け物だぜ!」
 笑いながら、「間接的にならば、攻撃できるけどな」と言う言葉は呑み込んだままにしておいた。人には効果は無くても仮に今、彼等の立つ地面を破壊されたら、そのまま落下してグシャリ、と言う事にはなるのだ。下手な事は口に出来ない。
「ま、どっちにしても、これでこのガキの価値は一気に上がるってモンだぜ!おい、おまえら。いいからこのガキ、さっさと捕まえとけや。乱暴にゃするなよ。大事な商品だ」
 さて、このガキを一体どこに売り払うか……。マニアックな趣味の馬鹿貴族か?時として海賊以上に非人道を貫けるマッドサイエンティストか?それとも……。
 どちらにせよこの後、自分の懐に転がり込んでくる金は結構な量になるはずだ。皮算用をしながら、ボドギーは頬の締まりが悪くなっている事に気が付いた。
「どうした?おまえら。早くしねェか」
 いつまで経っても動こうとしない部下を叱り付けた。しかしやはり、部下達は動こうとしない。互いに顔を見合わせて、「どうする?」「本当に大丈夫か?」と、不安げに先を押し付け合っている。
 ボドギーは呆れ、自分でティプラを拿捕する事にした。あの四人は、あとで縛り首だと追加して。
「やめ……ろ……」
 ヨロ……と、弱々しい体を無理強いして、カトスが辛うじて身を起こした。愛する娘の為、文字通り体を張っている。そんな事は、ボドギーには関係なかったが。
 舌打ちしてカトスに向き直ると、一歩だけ、体格に見合わぬ踏み込みを見せた。
 ゴッ!と音が鳴り、カトスの巨体が宙に浮いた。踏み込みと同時に突き上げたボドギーの右のハルパーの腹が、カトスの顎を打ち上げたのだ。
「パパを苛めるなァァァァァァァァ!!!!!」
 ボンと鳴り、ボドギーの海賊帽が弾け散った。
「フン。どうした?俺を倒そうとしたのか?」
 然して驚いた様子も無く、ボドギーは笑って言った。
「好い加減にしとけよ。俺だって、いつまでも貴様だけに構ってやっている暇は……」
 歩幅を広め、もう好い加減この茶番を終わらせようと思った時、今度はラファが娘を背中から抱き締めて、守ろうとした。
 ボドギーの瞳に、危険な色が灯った。終わらせようと思った茶番を長引かせようとするこの女が気に入らなかった。邪魔だ。殺そう。剣呑な意志を、特に否定するつもりも無く行動に移した。
「貴様、邪魔だ。死ね」
 ウンザリとした溜め息と共に洩らすと、右手を振り上げた。ハルパーの切っ先が、ラファの眉間目掛けて振り下ろされる。
「やめてえええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!」
 !!!!!!!!
 音が鳴った。鈍い音だったと思う。重い音だったと思う。響くのでは無く、残る音だったと思う。ただ、それらは文字にして表わせる音ではなかったと言う事だけは確信できる。
 一つの命が消えた。血が飛び散り、ティプラの幼い顔を鮮血で染める。ラファの恐怖に見開いた眼前に、血が舞っていた。
 ボドギーが、弾けて消えた。皮膚を破り、血管が散り、脳漿をぶちまけ、粉々になった内臓が散らばった。
 裏道を彩った惨劇の種は、すでにそれが何であったのか、全く解からなかった。何一つとして原形を留めない程散り散りの塵となっているから、それが元は人であった事を感じさせない無機質感があった。
 血の雨に降られた部下達は、悲鳴を上げるだけの勇気も無く、砕けた腰で地を這いつくばりながら、その場を逃げ出した。一言、「化け物だ……」と残して……。

to be continued...

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