天秤 ―Is more Fright? or Love?―
2nd chapter

 悲鳴が響いた。しかしそれは遠くで。
 闇の敷布に覆われた、深い時間の中。そこは本来魔獣と夢魔と月の眷属の時間であり、人は起きてはいけない時間。起きていると、恐い恐い魔物に取って食われるぞと、小さい頃から言い聞かされていた。まァ、今でも充分小さいが。
 だから、ティプラは聞こえない。聞こえた所で、本来聞きたくはない。だが、時に男の声で、時に女の声で、時に子供の声で、時に老人の声で、次々と響く悲鳴は、着実に近くなってきていた。
「ムニャ……もう朝……?」
 悲鳴と共に近付く赤い光が瞼を通して夢の中まで潜り込み、知らず目が醒めていた。
 まだ眠い目を擦りながら、粗末な蒲団を払い除けて起き上がる。
「クプーちゃん……クプーちゃん……」
 まだ半眼にしか開かず、定まらない視界の中で、大好きな熊の縫い包みを探し、緩慢な動きでギュッと抱いた。ティプラの小柄な体より少し小さい程度の熊の縫い包みの抱き心地を、全身で感じ取った。物心付く前から繰り返してきたその動作で、漸く目が醒めた気分になれる。
「……ママ……?……パパは……?」
 家族三人「川」の字になって寝てるはずの両親は欠け、今は一人数字の「1」を象っていたようだ。
 母は、すぐに見付かった。狭い家の玄関先で、神経を凝らしていた。
 ラファはすぐに娘に気が付き、ドアの外に変わらず神経を凝らしながら、娘に近付いた。彼女は言った。
「何でもないのよ」
 と。しかし、その言葉は幼い娘にも勘付かれる程に、ひどく動揺していた。
「パパは、すぐに返ってくるから。ティプラは何の心配もしなくて良いのよ」
 母の言葉を聞きながらも、まだどこか焦点が定まらない脳で考えていた。何かが、変だと。偶に目が醒める時の夜よりも、ずっと明るい。それに、何だか知らないケド、物凄く五月蝿い。フと目を窓を通した外に向けると、黒いはずの空が、赤く焦げ付いていた。
 赤く焦げるその空に、ヌッと姿を見せる影があった。何か?と心で問うよりも早くそれは窓を叩き割り、ガラスと木枠の破片を撒き散らした。
「キャアアアアアァァァァァァァァァァァァ!!!!」
 母子の悲鳴が重なった。割られた窓から、夜の冷めた風と炙られた熱い風が流れ込む。叫声と何かを壊す音がよりハッキリと届き、街の異変を確信へと変えた。
 壊れた窓から更に、一人の男が入り込んで来た。禿げ上がった頭には人相の悪い顔。痩せ細った腕には血の付いた剣呑なハルパー(鎌剣)。人口千五百に満たるか満たないかの小さな街だが、全ての人物を把握しているわけではない。その顔は、記憶にある誰とも一致しない。
 誰かはわからなかったが、少なくても「こんばんは」と挨拶を交わすような状況でも人物でもない事くらいは見れば解かる。
 男は暗がりの中で二人を確認すると、血と脂に塗れたハルパーを振り上げる。愉悦に歪む笑顔が、吐き気がする程気持ち悪かった。
 男がハルパーを振り下ろそうと筋肉に命令を下そうとした瞬間、ダン、と音を響かせて、玄関が開いた。
 ティプラとラファと、不法侵入甚だしい男が驚き目を向けると、筋骨逞しい壮年の男が鉄製の棒を握り立っていた。
「パパ!!」
「!!……貴様!!」
 叫ぶが早いか、男は鉄棒を槍のように構えて取り、その巨体で二人の愛する家族を守る為、相対する男に立ち向かった。
 父カトスの、碌に構えもなっていない一撃は、男の右肩を思い切り打った。本当は心臓を狙ったのだが、元々狙いが正確ではない上、相手も木偶ではない。致命傷にならない、右肩を打つだけに終わったのだ。
 それでも、相手の戦闘力を奪うだけなら充分だった。男は「グギャ?!」と言う爬虫類を連想させる悲鳴を上げると、持っていたハルパーを手放し落とし、打たれた肩口を押さえて苦悶に呷いている。日頃荒波の中で鍛え抜かれた力で打たれたのだ、骨くらい折れたのかもしれない。
「こっちだ!!早く!!」
 カトスは鉄棒を持ったままの右手で娘を担ぎ上げ、余った左手で妻を引っ張って、馴染んだ我が家を後にした。

to be continued...

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