第十二章 その闘法、鬼神の如き舞神かな...

Thanks and sorry , Murakumo , Yatha and Yasakani.
 自分が取ろうとした行為の恐ろしさを、命の有り難味と共に改めて噛み締めると、ホッとする安堵感と、ゾッとしない恐怖感で、海泥麒はヘナヘナと腰を砕き、その場に崩れ落ちた。安堵は張り詰めた緊張感を引き千切り、疲労の波を呼び込んだ。
 そんな彼女の肩を軽く叩く事で労いを表わしながら、毅然とした視線を死の顕現へ向ける叢雲。無言でその後ろに立つ八咫。肩を大きく揺らし、乱れた呼気を正す八尺瓊。……どうにも、三津草の男性は、女性よりも体力が劣る感があるが、まァ、それも『聖剣』の質に大きく依存する事なので仕方が無いと言えば仕方が無い。
「八尺瓊。市川さんと後藤さん。任せたぞ」
「了解」
 死への恐怖を微塵にも見せる事なく、叢雲は一言だけの指示を出す。
 一つ大きく深呼吸をして体調の乱れを正すと、答えて八尺瓊は右手を翳す。
 生まれる星屑達は、鮮やかな瓊色。一つ一つは小さな星屑が、万にも億にも集まり踊り、彼の右腕の肘から上を隈無く覆った。
 後は、結び、弾け、消えたそこに、日本に伝わる神器の一つが、蔦蔓の如く絡まり実を成し、現世に姿を見せ給う。
 成した実は、喩えるなら潰れた雨滴。五行陰陽太極模様の片割れと言っても良いが、解かる人にはそのまま「勾玉」でまかり通る代物。瓊色の「それ」は、緑色の紐に貫かれ、数多に連なる「それら」となる。成された『聖剣』は、五百箇御統玉と呼ばれる古代日本の装飾身具。神器として崇め奉られるそれは、特に《八尺瓊勾玉》と呼ばれる。
 三神器が豊穣を象徴する『聖剣』を一粒摘み採り左手に握る。そして、右手を後藤の、左手を市川の患部に当てる。「痛い」と異句同義の言葉を発する二人を一言「我慢して下さい」と黙らせると、もう一度、深く呼吸を飲み込んだ。
 死臭に少し胸焼ける気もしたが、肺の中一杯に、酸素が染みた。
 勾玉が、光った。同じ瓊色の、暖かな光。その光にあてられ、手傷を負って苦しげだった二人の表情が、僅かに綻びた。
 八尺瓊伝来の御技。伝わる名は、珠術・生―繋璽―。璽=玉を繋ぐ。それ即ち霊を繋ぐ事。切り捨てられそうになる魂を繋ぎ止められるよう、切り口を――傷を――癒す術だと言う。親から聞き伝えられた、名の由来だ。
 傷の治り事態はそれ程早くは無いが、『聖剣』への負担も軽く、傷の回復に伴い、体力も同じくして回復してくれる。まァ、応急処置には持って来いの御技だろう。
 叢雲は、10[sec]程度そのプロセスを確認してから、視線は大噛に返しながら、海泥麒に言った。
「サンキューな、海泥麒。四人をこの死に損ない共の友達にしてくれなくて」
No thank you and don't mind.
 切れた緊張感から来る疲労に苛まれながら、年下の上官に軽口で返す。
「でも、さっきのアレは戴けねェぞ。伊真にチクってやろうか?」
Don't say so it, please... .反省してるんだからさ。御願い」
 苦笑混じりに答えた。
「市川も後藤さんも都筑も。無理させたようで悪い」
「気にすんなって」
「これが仕事だから」
「どって事無いさ」
 三人が、色濃い疲労を押し込んで、気丈に元気に振る舞った。
 そんな三人が痛々しくも頼り甲斐あって。胸中でもう一度、感謝の言葉を並べたりもした。
 そして……。
「佐土布都」
 まだ呼気も整わぬ年下の少年に言った。
「情けねェぞ。そんな調子で、オレから自警団々長の座を奪おうなんて、夢のまた夢。笑い話にもなりゃしないぞ?」
 手痛い言葉を叩き付けた。
 想い人からの一言は、他の誰から言われるよりもショックがデカい。沈痛な面持ちは、少年の心の凹みの大きさをそのまま表わしていた。佐土布都の気持ちに気付かない当の叢雲以外の五人は、憐れみの表情で佐土布都に合掌した。八咫は、変わらぬ鉄仮面で眺めていただけだが。
 とまれ……
「奴等、一体何者だ?」
 改めて敵勢力を見遣り、叢雲が小さく呟いた。
「お化け屋敷の興行じゃないの?随分とレパートリーに乏しいけど。リアリティーだけなら、最高の質よ」
 ボソリと呟いた八咫のセリフは、素で無視された。
「何者かは解かりかねますけど……どうもあちらさん、叢雲君に用がありそうですよ?何か恨みを買うような事でも?」
 首を横に振り、否定の意を露わにする。当然だ。あんな化け物、見た事も無い。あんな……曇り無い敵意と、迷う事の無い殺意を叩き付けられる縁など、あるはずもない。と思う。
 その視線を突き刺しながら、大噛は高鳴る鼓動を必死に押さえた。
(見付けた……!見付けたぞ……!!)
 目的を達する事にはやる気持ちと、殺意に踊る気持ちの双方を抑えながら、目的の女=奇稲田に見入った。
 「死」の顕現たる八首魁が一首《大雷邪巳》の恐怖を前に、一点も曇る事の無い、意志に満ちた眼光。二流の戦士のように無駄に闘志を垂れ流すのではなく、抑え、蓄え、一瞬の好機に賭ける事を知る、達人の域に達する気迫と面構え。何より、他の圧力に決して屈する事なく、全てに挑みかかろうとする、溢れる意志力。
 全てが、気に入らなかった。
 何故、生に執着する身でありながら、死に恐怖しない?!儂の守っていた者達は、死の恐怖に負け、牙を剥いたと言うのに……。
 何故、死を前にして、戦士であり続けられる?!儂の誇りは、死の恐怖に折れ、憐れな敗者として地を這いつくばったと言うのに……。
 何故、この絡み付く宿命の蜘蛛の糸から逃れられる?!儂の意志は、死の恐怖に屈し、定めの道に甘んじたと言うのに……。
 気に食わない……。気に食わない……!気に食わない……!!
 大噛の内に潜む怒りを食らい、《大雷邪巳》は瞳の赫の輝きを増した。
 輝きがクライマックスに達した瞬間、《大雷邪巳》は苦悶に叫び、狂いを上げた。
 大気は恐怖に震え、静寂は失せる。
 墓が暴かれた。外からではなく、内から。苦悶の叫びは、死の眠りに就く者達への起床のベル。その数は二十から一気に膨れ上がり、五十を超えた。
「ウチの御葬儀。火葬で良かったわね」
 眉根の一つも動かす事なく、八咫は淡々と言った。忌厭や恐怖とは無縁なのだろう?この鉄面女は。彼女はただ、「臭いがしなくてラッキー」程度に言っただけなのだ。
「野郎ども!!裏切り者の奇稲田を生け捕りにしろォォォォォォォ!!!!!」
 獣の咆哮のような大噛の言葉に答える物は、死者の群れにはいなかった。無言で代わりに骨の軋む音を返して、揃わぬ足並みで滲み寄って来た。
「奇稲田……ですか?一体誰の事でしょうねェ……?」
 首を傾げて、八尺瓊は誰へでもなく一人で問うた。
「知らねェよ。オレには関係ねェ事だ」
 右腕を挙げた。左の肩口より少し上になるようにして、斜めに。
「三津草の平和を乱す奴等は」
 恐怖の侵食を、意志で抑え、勇気で克服する術を知る。叢雲の心には、惰弱に萎える臆病はいない。
「この剣で斬って棄てるだけだ……!」
 左上から右下へ。振り下ろした軌跡に沿って、生まれた瞬間弾けて消える星屑は、草葉が萌える若草の色。
 力の司るは征服。《天叢雲剣》を緩りと構え、手中の刃に負けない鋭利な眼光で死者達を穿ち睨んだ。
「伊真も結構平和乱すギリギリよ?斬って棄てないの?」
「恰好良く極めた所を落とすな」
 気力が萎え、視線も一瞬で冷めてしまった。
 気を取り直して……
「八咫。バックアップ、頼むぞ」
「オーライ」
 言うが早いか、八咫は両掌を前方に掲げた。
 星屑達が渦巻き、踊った。朝の陽光か実る稲穂を想起させる、毅然と輝く金色の星屑達。
 円盤形に結んだ。星屑達は、太陽の如く燃え、弾けて失せた。その後には、波の立たないエメラルド・グリーンの水面よりも磨き抜かれた鏡面を持つ、神々しい偉容の神鏡が在る。
 『聖剣』《八咫鏡》。映し出す物を実物以上に美しく移しそうな幻想さえ期待させるその鏡は、外縁に八つの真球を等角に持ち、その最外円周は寸分の狂いも無く八咫の寸法に成る。伝承によれば、その身は三貴神が一神、太陽の女神・天照大御神の映り身だとされる、由緒も正しき御神鏡。
 ミシカルの『聖剣』を優雅に手持ち、八咫は叢雲に先を促した。
「御供しますよ。叢雲君」
 八尺瓊が並んだ。叢雲はチラリと二人の負傷者に目を遣った。暗に、「お前はあっちの世話を頼む」と示しているのだ。
 確かに伝わった叢雲の言葉を、しかし八尺瓊は拒否の言葉で返した。
「お二方には勾玉を残しておきました。大した傷でもありませんし、―繋璽―で充分事足りますよ」
 並走しながら、つい先刻、海泥麒に二人の負傷者と二人の疲労者を任せた事を思い出す。
「それに、」
 視線を、ワラワラと群れる死者の軍勢に向けて呟いた。
「死者への弔いは、私達八尺瓊の姓を持つ者の仕事です」
「……だな。邪魔はするなよ」
「すると思いますか?」
「思いやしねェ……よ!!」
 接敵一瞬、振るった一刀は骸兵二体を横薙ぎに斬り払う。胴から上下を半身にされた二体は、一先ずその場に崩れ落ち――数秒後には、斬られた上下を不器用に揃えて直し、再度叢雲へと向かい始める。
 あっと言う間も無く、叢雲に雪崩れかかる骸兵達。前からだけではなく、背後から、右から左から、時に上からも下からも。常人ならば10[sec]と持たずに潰されそうな圧倒的物量を前に、叢雲は怯む事なく渡り合う。
 前後左右上下、全方向に振るわれる太刀筋は、一見乱雑だが、その実一分の隙も無い。また、剣術だけに捕われず、時に足技、頃見て手技、隙もあるなら窮地を脱し、態勢を立て直す事も忘れはしない。一つの体系に捉われず吸収昇華してきた武術達は、叢雲の戦術に無限の柔軟性を持たせ、彼女を超を冠する一流の戦士に成長させた。
 とは言え、斬って殴って蹴ってでは、一撃の都度に動きを止める事は出来ても、いつまで経っても敵勢戦力に変化は無い。だがその実、骸兵は少しずつだが、代替わりをしていた。――何故か?
 忘れてはいけない、八尺瓊の存在を。叢雲程ではないが、彼も一流の体術で骸兵達を相手取る。その一撃の重さは叢雲に遠く及ばなく、体捌きも彼女を見た後では見劣りし、危うい場面を八咫の守りの御技、鏡術・縛―逆月―で救われた事とて一度や二度ではない。しかし、魅せる技の多彩さは類を見ず、流れるように技の繋ぎは秀麗の一言に尽きる。
 そして何より、《八尺瓊勾玉》絡む右手の一撃。それを食らった瞬間、骸兵のことごとくは金縛りにでもあったかのようにその動きを止めた。その大き過ぎる隙を見逃すはずも無く、常人には見えない不浄の一点に勾玉を叩き付けると――骸兵はそのまま崩れ落ち、二度とはその身を動かすことはなかった。
 八尺瓊伝来癒しの秘法。珠術・逝―抓死―。生を蝕む死を抓み払う、克死の御技。―繋璽―は傷を癒し、―抓死―は病魔を払う事として普段は使用しているが、本来の用法は、今この時のように、死者を祓う為の浄化の御技。この御技に掛かって成仏しない死者はいない、と自負している。
 とは言え……。やはり、物量差は否めない。減らしたそばから別の一体が甦る。屍体が有限である以上、いつかはその差が埋まる時も来ようが……言っても、流石に喜ばしい状況ではない。どうしたものかと思索に暮れ始めた頃。
 ゾス!!
 突然何を思ったのか、叢雲が地面に《天叢雲剣》を突き立てていた。
「面倒だ!八尺瓊!!このくたばりぞこないどもは任せたぞ!!!」
 叫ぶと同時に、《天叢雲剣》の刀身が光を帯びた。若草を象徴する萌える緑の色の光を。
 一呼吸置き、荒れ果てた大地の一帯から、緑の草が背高く伸び跳ねた。
 ――草?ならば、光を放つ道理は無かろう。緑の光は、草には似ても非なるからこそ放たれる。
 草に似た何かは、意志を持つかのように五十を越える骸兵に襲い掛かり、大した時間を要する事なく雁字搦めに捕縛した。
 其は、叢雲古流『聖剣』武術が奥義の一角。名を奥義・縋―草那芸―。現状を一目すれば瞭然だろう。踊る草蔦の芸が縋り憑き、身の自由を奪う御技。
 シナリオには候補にさえない展開に唖然となる敵の隙を突くべく、疲労で一息つく間ももどかしく、叢雲は骸兵の山を飛び、墓石を無礼に踏み蹴り、間合いを一気に詰め始めた。
 狙いは一つ、蛇の化け物。奴さえ倒せば、物量戦略は一気に潰えるだろうとの目論見。
「クソッ!!」
 虚を突かれる形になった大噛は、それまで傍観に回らせていた《大雷邪巳》に命令を下す。
 《大雷邪巳》は1[m]強の胴体を常識を無視して伸ばしくねらせると、20[m]は離れた叢雲目掛けて、その巨顎で襲った。
 大したスピードではあるものの、直線的な一撃を大きく右にステップを踏んで難無く躱すと、止まらず更に間合いを詰める。
「ウルアァ!」
 次いで、三人の男が、手にしたロング・ソードを振り被り、三方から斬り掛かる。が、八方プラス上方下方からの骸兵の人海戦術を軽くイなした叢雲だ。慌てず騒がず、腰を落とすと駆け抜け様に刀を三振り。
 ギィン!
 金属が弾ける音が三つ。同時に響いて不協和音を奏でて出した。神速で振るった三連の斬撃が、一瞬以上の間隙を与えず三つの刃物を弾き飛ばした音だ。
 返す刀は、振り向き様の各一撃。急所を外して裏拳、掌打、旋風脚。手加減したから暫らく悶絶する程度くらいしか威力は無いはずだ。それだけでも、三人を無力化するには充分以上の一撃だが。
 手加減入りの旋風脚の終わり際、背中に生まれる殺気が一つ。調子に乗ってラストを大技にしたのが災いした。1[sec]以上の隙が、そこには生じていた。
 だがやはり、叢雲の顔には焦りの色は全く見えない。ただ、背中に生まれた殺気を食い潰す程の殺気を叩きつけてやっただけ。
「ウワアァ?!?!」
 間の抜けた悲鳴がして、殺気が霧散した。驚愕に震え、怯えた表情で後退る男が一人。またしても《Consealer》で身を隠して接近していた倉坂だった。
 激しく波打つ心臓の確かさを感じながら、現実の確かさも確認していた。あの一瞬――奇稲田にダガーを突き立てようとした瞬間――、自分は斬られたのではなかったのか?恐ろしく鋭く疾い残光の一撃は、確かに自分の素っ首を斬り落としていたはずではなかったのか?
 倉坂には見えたのだ。殺気を乗せた叢雲の斬撃を、両の眼でしっかりと。
 曇り無き殺気を乗せた意志力は、時として人の本能を通して、本物以上の虚像を見せる。幻術ではなく、魂を乗せたフェイント。守りに転じれば敵の出鼻を挫き、攻めに転じれば真の一撃を活かす伏線になる。あらゆる武の一門に身を置く超一流の武人は須らく身に付ける活路の奥義に、叢雲古流『聖剣』武術では斯様に銘打たれている。奥義・槌―麁正―、と。
 倉坂はそれに気圧され、恐怖で術を解いてしまった。
 旋風脚の隙が完全に死んだ瞬間に、漸く我を取り戻し、仕切り直しに更に一歩の間合いを開ける。が、
(遅い……!)
 蹴り足の親指に力が集束される。集められたその力は、一点から全身の全関節、全筋肉繊維と筋肉組織を介して余さず伝達され、どころか乗算的に増加され、一気にそのエネルギーを爆発させた。
 蹴り足が大地に別れを告げる瞬間、その場に小さなクレーターを落とし、砂煙を撒いて消える。
 倉坂の視界から叢雲の姿が消えたのも、その一瞬だった。同時に、下腹部に重く残る一撃が入り、視界が歪む。
 嘔吐感が込み上げる。苦痛に前のめりになろうとするところに、下から何か硬い物が唸りを上げて昇り迫り、顔面に強烈なインパクトが突き刺さる。そして、視界と意識は完全にブラック・アウトに果て消えた。
 奥義・追―韓錆―。初速を刹那未満の時の間にトップ・スピードに引き上げる、神速の歩法。「物は少しずつ加速されて動き出す」と言う常識と、一瞬の速度変化に慣れない視界に束縛された人間には、目前の叢雲は正に"消え"て見えた事であろう。
 摺り抜け様に左肘を腹部に、前のめりになる瞬間の顔面に、大きく弧を描いて走る右のスウィング・ブロー。錯覚に溺れる倉坂は、成す術無くこの連撃を受け、意識を断たれた。
 20[sec]にも満たない時間で五十体もの骸兵を足留めし、四人の敵を倒した。しかし、連発した奥義のつけが体力を削ると言う形で現れ、思わず一息吐こうと油断した。
 スウィング・ブローが作った死角は右方。そこから襲う紅蓮の抱擁。
 《Muspells Heimr》の炎の焼撃は、狙いあやまたず油断する叢雲を呑み込んだ。
「おっしゃ」
「馬鹿野郎!!」
 叢雲を捉えた炎の抱擁。歪に乱れる球塊と成り、ムスペッルの心臓のように蠢動を繰り返す。目標を焼き尽くすまで消えぬ火球を確認して快哉の声を上げる火端に、大噛の怒声が飛んだ。
「殺してどうする?!儂らの目的は、奇稲田の拿捕だ!!目玉を抉ろうが腕をもごうが舌を引き抜こうが狂うまで犯そうが構いはしないが、兎に角生け捕りにする事!!殺してしまえば、黄泉津様が漸く捉えた《草薙剣》の所在が、また解からなくなるだろうが!!」
 一気に捲くし立てられる罵声に、自分の仕出かした事を自認し、サッと蒼褪めた。彼の『聖剣』は発火の力を有してはいても、鎮火の力は持っていない。つまり――叢雲を救い出す事は、出来ないのだ。
 呆然とする火端と怒りに震える大噛を遠巻きに照らす火球は、変わらず燃え盛る。だが、三津草の街の面々は、何をするでもなく見守るだけだった。――八尺瓊だけは、《天叢雲剣》が抜かれた瞬間から弱まり始めた奥義・縋―草那芸―に絡まれたままの骸兵の処分に大忙しだったが。
 普通なら良くて重態、悪くて焼死の窮地にあっても、彼らは叢雲の死を否定して疑わない。何故かと?それは、彼らの長が「叢雲」の姓を持つが故に。
 一瞬、火球の表面に沿って、何かが疾走した。油断すれば優々見逃す、光の軌跡。炎では無く、月の光を映して見える、斬撃の軌道。
 辛うじてそれを視認した瞬間、斬撃に毛糸の如く巻き取られ、火勢は急速に収斂する。
 束ねられ、緋色の弧月と炎は成ると、大地を焦がし蹴散らして、火端・大噛両名へと牙を剥く。
 大地を弾く爆音で弧月に気付いた時には、炎刃は眼前にまで迫る。
 弧月の一端が顔面を狙う火端は、身を倒してその災を逃れる。他端が足を狙う大噛は、巨体を支える足で大地を蹴り飛ばし、思いの他高くまでその身を浮かせた。
 伝承に斯く有り。神代に続き歴史を織り成す古代の事。日本武尊は天叢雲剣を携え東征に出た。しかし、敵の姦計に嵌まり、大草原の真ん中で四方から火を掛けられる。その時彼は咄嗟に機転を利かせる事でその難を逃れた――とされる、あまりに有名なエピソードだ。しかし、実はこれは、『聖剣』《天叢雲剣》が持つ力の一端を、後世で解釈されたに過ぎない。
 力の名は、奥義・墜―草薙―。例えそれが地獄の劫火だろうが超常の炎舞だろうが、一切の火炎は叢雲に毛筋程にも火傷を与うる事は能わない。炎は逆に、叢雲にその意志を食われ、操られるに終わるだけだ。
 あまりにも予想外の反撃に混乱する大噛の耳元に、言葉が届いた。
「喰らえ……!!」
 ギョッとして、声の方向――即ち、右に視線を向けると、皮膚一枚も髪の毛一本も焦げ付かせず、どころか身に付ける衣服に煤の一つも付けずにいる叢雲の姿。緋色の弧月の陰に隠れて、一息に間合いを詰めていた。
 大噛の巨体に視線を合わせるように跳躍した叢雲の姿は蝶のように美しく、睨み付ける眼光は蜂の危険を孕んで突き刺さる。
「クッ……!!」
 宙に浮いたままでは、反撃も回避も侭ならない。威力を重視した大振りの八相の構えだが、防御に廻るだけの余裕もない。死に恐怖は無かった。どうせ、いつかは己自身も殺すつもりでいたのだから。だが、今は死ぬわけにはいかない。全ての愚かなる種を根絶やしにするまでは。
 頼れるは、自身を覆う腐鱗の鎧のみ。だが、その防御力には自負がある。なまなかな斬撃ならば、防ぎきる自信があった。
 一方、叢雲にも自信があった。例え見慣れぬ不気味な鎧を着込もうとも、欠かさず振るい鍛え抜いた一刀は、奥義と呼ぶに相応しくなる。
 振り抜く一瞬に思う事はただ一つ。風よりも疾くあれ、獣よりも悍くあれ。叢雲の一族の遥か祖先に名を連ねる『剣聖』――建速素盞鳴尊神の名に恥じぬよう、その一刀に全ての力を叩き込む。
 奥義・娺―都牟刈―。ただの一振りに与えられた、奥義の名だ。この一撃は、巨岩を豆腐のように叩き斬った事も、鉄扉を紙のように斬り裂いた事もある。《大雷邪巳》の腐鱗の鎧を斬り裂く事ができると言うのは、根拠のない過信ではなく、絶対の自信に基づく確信。
 ヒュッ!
 風斬り音が鳴る瞬間には、叢雲の一刀が狙う大噛の太い首は斬り落とされ、それでこの戦いは終わりを告げた。
 そう言うシナリオが続くはずだった。
「な……?!」
 叢雲の口から洩れたのは、勝利への快哉ではなく、予想外の驚愕への疑問符。離れた場所にいる彼女の仲間達も、裏切られた期待への、似たり寄ったりの言葉を漏らしていた。
 叢雲は、我が目――と言うか、全神経を疑った。全力を傾けた気合の一刃から感じられるのは、肉を斬り、骨を断つ不快な――だが、奇しくも慣れてしまった――感触であるはずなのに……。
 何だ?これは?!不確かな感覚に捕われて、混乱した。
 返ってこないのだ。慣れてしまった反吐が出る程の不快な感触が。避けられたのではない。目の前で、叢雲の一刃と屍蛇の腐鱗は確かに触れ合っている。だが、返らないのだ。
 真綿で優しく包み込まれて威力を吸収されたとか、そんな有り触れた感触でもない。その時はその時なりにその時ならではの感触が返って来る物なのだから。
 しかし、この一刃は、それらのどれでもなく、本当に「何の感触も返ってこない」のだ。物と物が触れ合う瞬間の抗力も、力が拡散される時の吸収力も。全力を込めたはずの腕からも力が抜け落ちたような奇妙な力みを帯び、押そうとしても、空気を押すよりも手応えがない。
 何と言うのか……未体験者が初めて無重力を味わって、右も左も解からない程混乱する……。今の叢雲の心的状況は、限りなくそれに近い物があった。
 大噛も混乱は同じだった。防ぎきる自信はあった。『蛇の輪廻』の奉神の一部たる《大雷邪巳》の腐鱗の鎧が破られるわけが無い。盲信と過信が紙一重の自信を持って、大噛は信じていたから。
 だが、防いだにしても、あまりに予想外だった。
 叢雲の斬撃は、これまでに出会った事のあるどの剣士の斬撃よりも鋭く、そして疾かった。あまりの斬速に、刃面が返した月光だけが、無為に網膜に灼き付いていた。
 腐鱗が少なからず削られていたかもしれない。いや、下手を打てば、止めた斬撃から残る衝撃で、首の骨をへし折られていたかもしれない。覚悟を決めた事さえ、限りなく零に近い時間の後で、―都牟刈―が振るい切られた後であった。
 だが、拍子抜ける程の無衝撃。嬉しい事態ではあるとは言え、予想外の現状に、大噛も叢雲同様に間抜けた混乱に陥っていた。
 確信した勝利を掴み損ねた者と、覚悟した敗北から解放された者。混乱から立ち直るのに要した1[sec]弱の時間差は、そこにあったのだろう。
 ジャッ!!
 唸りを上げ、《大雷邪巳》は叢雲に兇悪な巨顎を向けた。殺さない程度に噛みしだいてやれ。大噛との無言の意志疎通で命令を確かに受け取り、文字通り歯牙を剥いて襲いかかった。
(しまっ……!!)
 殺られる!!大噛にその意思はなくとも、叢雲がそう思ったのも致し方あるまい。
 空宙に身を置きながらも、閉じる顎歯の直撃を免れたのは、類稀なる反射本能と、剛く柔軟に鍛え抜いた身体能力の賜物だろう。酷使した筋肉が悲鳴を上げる音を聞いたような気もしたが、無視して強引に身を捻っていた。
 脳に直接訴える音は、ジョリと言うのをもっと兇悪にした異音。《大雷邪巳》の顎歯が背中の肉をごっそりと抉り奪っていく。
「!!!!!!!!!!」
 背中から前進に走る激痛に、口からは悲鳴さえ洩れ出る事が許されず、さりとて歯を食い縛って激痛に耐える事も侭ならず、苦悶に歪むに任せるしかなかった。
 後ろで彼女の名を重ねる悲鳴に似た声達が聞える。それらに辛うじて意識を繋ぎ止められたのは、幸いでもありながら、ある意味で不幸であっただろう。大人しく気を失えば、激痛に苛まれる事も無いのだから。
 だがおかげで彼女を捕らえようと襲い来る大噛の腕に遅れる事なく反応できた。振り絞った最後の気力を、一つの奥義に注ぎ込んだ。
「なぁ?!」
 視界を突如発生した紅の霧に奪われて、目標を拿捕しようとした腕を慌てて引き戻すと、振り払おうと腕をもがかせた。
 長いようで短い滞空を終えた頃には、紅霧は散じ、そこには既に叢雲の姿は無かった。
 飛沫いたはずの血は失せていた。それらは主の命に従い、その身を紅霧へと変えていた。
 奥義・卆―叢雲―。己が身から流れる各種体液を霧へと変えて、敵の目を眩ませる御技だ。
「チッ……!」
 叢雲の身柄は広く伸ばした海泥麒の《鷹の衣翼》によって、既に確保されていた。大噛は、小さく舌打ちを打った。
「薙葉!!」「なぎちゃん!!」「叢雲!!」「団長!!」「叢雲嬢ちゃん!!」「叢雲」
 《鷹の衣翼》から解放された叢雲を抱き抱えたのは、彼女の事を愛して止まない佐土布都の役割。ヌルリとした感触が、忍び寄る死の影を予感させた。彼には傷口を上にして見守る以外に何も出来ない。愛する者も守れず、愛する者を助ける事も出来ない。そんな自分が酷くもどかしく、涙が出る程の嫌悪感を募らせる。
(力を……与えてやろうか……?)
 そんな幻聴すら、耳に届く。
「叢雲君!!」
「八尺瓊さん……!!!早く、早く治してやって下さい!!」
 急ぎ戻る八尺瓊を確認すると、佐土布都が必死に叫んだ。「わかってますよ」と手短に返すと、摘み取った勾玉を奥歯に挟む。
 予想される苦痛に意志を強くしてから、勾玉を思い切り噛み砕いた!!
 『聖剣』は魂の一部。その魂が何らかの要因で欠損する時、その苦痛はそれ以上になって『剣聖』に返ってくる。何百分の一とは言え、一つの勾玉を噛み砕く事は、そのまま魂を噛み砕く事に等価となる。噛み砕いた瞬間、言いようのない痛みが魂を責め、端正な横顔に苦悶の翳りを落とした。
 今までにも幾度と無く味わったからこそ耐える事も出来るが、やはり慣れる事は出来ない。昔なら、この瞬間に意識を失っていましたねと、感慨に耽る事でどうにか苦痛を遣り過ごした後、彼は砕いた勾玉を息吹に乗せて、叢雲の傷口に噴きかけた。
 叢雲は、苛む苦痛が半減したような安心感に見舞われる。実際、出血も一気に抑えられ、傷口も脅威的な速さで塞ぎ始めている。後は―繋璽―を併用した上で傷を癒しつつ、叢雲の気力で命の糸を繋ぎ止めるだけだ。
 珠術・聖―誓約―。神代の時代、建速素盞鳴尊神はその名の儀式の折り八尺瓊勾玉を噛み砕き、五柱の神を産み落としたとされる程の生命力に満ちた御技。―繋璽―では治療し得ない致命傷さえ治し得る、強力な治癒の技。
「大丈夫ですか?」
 ンなわけは無かったが、叢雲はこう答えた。
「掠り傷……だ……。それより……晒が……取れ……た……事の……ほ……が……いたい……。胸……触……たら……殺す……」
 笑えない減らず口だ。八尺瓊は、「少し黙ってなさい」と痛々しく微笑んだ。
「でも、叢雲の―都牟刈―で斬れないとなると、あの化け物、どうやって退治するの?」
 火端が悶絶打ってる三人を蹴り、叩き、無理矢理起こしている様子を他人事のように眺めながら、八咫がそんな事を言っていた。
「瓊輝。アンタの―抓死―でどうにかならないの?」
「無理だと思いますよ?腐ってはいるし"死"の色も濃いですけど、死んでいるわけじゃありませんし。それに、『剣聖』は生身ですしね」
 ―誓約―の瞬間から激しく疲弊した八尺瓊が、八咫に返す言葉を吐き出す。
「おい、ヌシら!!」
 ビリビリと大気を震わせて、大噛が怒声を叫び、寄こした。中世欧州を舞台にしたファンタジーに登場するドラゴンは、その猛々しい咆哮に獲物の心に恐怖の種を撒く力を持つらしいが、あの蛇男も似たような物であろうか?軽く震わせれば音は届くのだから、喧しく叫ばないで欲しいわね。そんな場違いな不平を胸中で洩らしたのは八咫くらいなもので、他の七人は、声が孕んだプレッシャーで一瞬身を強張らせた。
「ヌシ等に一つ、選択する権利を与えてやる!!」
 そう言うと、たった二つの選択肢を呈示する為だけに、大噛は指折りにその数を数えた。
「一つは、儂等の要求に従う事。従うならばこの街自体にゃ用はない。今すぐにでもこの場を去ってやろう!!」
 人差し指を天に突き、一つ目の選択肢。次いで、中指を立てて二つ目。
「もう一つは儂等の要求を拒む事。拒むならばこの場でヌシ等を殺して儂の下僕として、ヌシ等自身の手を街の民草の血と涙で染め抜いてくれる!!!!!!」
 ただ殺すだけではなく、殺した後でも責め苦しめる。死者を己が傀儡とする《大雷邪巳》ならではの、身の毛も弥立つ脅し文句だった。
 「誰が従うか。貴様等を殺して、街の平和も守る」と言う弱々しい強気な発言は叢雲。当然それは届くはずも無く、代わりに海泥麒が口を開いた。叢雲の意に沿わぬ形で。
What's your requests?一体何が御望みかしら?」
 御丁寧に和訳して、尋ねている。
 それを脈ありと見て取った大噛が、唇の端を吊り上げて笑った。
「その裏切り者の、奇稲田の身柄を大人しく明け渡す事だ!!」
 ビッ!!と指を差して言った。指し示す先は当然御目当ての奇稲田なのだが……
「裏切り者って?」
「知るわけないでしょ。これだけ固まってりゃ、あの化け物が誰差してんのか見当も付かないし」
 佐土布都の質問を、八咫はつっけんどんに叩いて落とした。実は……予想は付いていたのだが。叢雲が炎に包まれた時、大噛は確かに叢雲の拿捕を口にした。どうやら御目当ては叢雲らしい。何故に彼女を「裏切り者」と呼ぶかは定かではなかったが、奇稲田と呼ぶ事に対しては心当たりはあった。古い伝承を読み返せば、それくらいはすぐに思い当たる節として上がって来る。
「それとだ!」
 八咫の思考が、強引に中断させられた。大噛の後に続いて、火端が声を張り上げた。
「そこの巫女の姉ちゃんと鏡の姉ちゃんの身柄も渡してもらおうか」
 叢雲の一撃が重く残って苦しいくせに、取り巻きの三人も追随して歓声を上げる。「何の為」にかは言わなかったが、考えるまでもなく悟り知れる。下卑・下種・下劣と三拍子揃った男達の考える事など、下半身で全て繋がっているのだ。
 呆れ気味に一息こぼして、八咫が大噛達に向き直る。
「アンタ達」
 無感情な声音はある種の涼けさを持って、冷たい闇に凛と拡がる。
 彼女は指鉄砲を形作ると、黒髪の滝を掻き分けて蟀谷に突き立てる。それをそのままグリグリと捩じる仕種を始めると、
「脳髄イかれてんじゃないの?」
 硬質の美貌と無機質な美声で、嘲りの言葉を明瞭に投げ付けた。
「てめぇ……今、何て言った?」
 美貌に似つかわしからぬ嘲りの言葉は、他の誰が言うよりも効果的に、敵意の炎に油を注ぐ。怒りで顔を紅潮させた火端の言葉に、八咫は従うようにもう一度口を開いた。
「大人の男女の火遊びと、子供の玩具の火遊びを取り違えていると、シッペ返しは火傷の一つじゃ済まないって言ったのよ」
 正眼に構えた火端の剣に炎が宿り、主人の怒りを代弁する。
 その剣呑な抗議の代弁に然したる興味を引かれもせずに、八咫はツイと八尺瓊に向き直り、
「少し意訳してみました。こんな感じでどう?」
「イヤ……どう?と言われても……」
 なんと答えるべきか困惑しながら、八尺瓊は色々と思う所をグルグルと頭の中で交錯させた。気の抜けるような事を言わないで下さい……火種に油を注いでから酸素を送り込むような事はしないで下さい……敵から目を反らさないで下さい……。色々あったが、何から言っていいのか迷う内に機会を逸し、そのまま沈黙を守ってしまう。
「おい、別嬪さんよ。その減らず口とこの大口と、どっちが頑丈が試してみるか……?」
 炎の揺らめきが形を織り成し、巨大な頭蓋の魍魎と化す。
 眼窩は無く、耳も無く、鼻は削げ落ち、肌は文字通り炎に炙られる。腹を空かせた獰猛な猛獣のように開けた口には、ゾロリと並ぶ牙、牙、牙。果たしてそれは恐怖を具現させるも、炎が牙を持つ意味があるのだろうか?場違いな疑問をもう一度浮かべる程度で、仮面の表情も素顔の感情も、大した感慨を持ちはしなかった。肝が据わっているのか無関心なのか……。
 とまれ、八咫はやれやれと肩を竦めてこう返した。
「何度言ってもわからない馬鹿ね」
 わざわざ一言サラリと付け足す。彼女はそれから八尺瓊の首に腕を廻して、その頬に恥ずかしげも無く軽く口付けてから。
「アンタじゃ瓊輝の代わりにもならないわ。男磨いて出直しなさい。無駄足でしょうけどね」
 男にとってこれ以上無い屈辱の嘲りを、やはり代わらず無感情・無表情で叩き付けた。
 えげつない八咫の応対に、八尺瓊を除く全員が絶句する。八尺瓊だけは、嬉しいような困ったような、何とも微妙な表情ながらに―繋璽―を続けている。
 正眼に構えた炎の剣は、一度大上段に構え直されてから、唐竹割りに振り下ろされる。
 炎に形作られる炎の髑髏は、笑うように大口を開けて、一つ所に固まる八人を同時に襲う。
 非『剣聖』の三人と佐土布都が固く眼を瞑り、海泥麒が本能的に身を強張らせる。その中で、八咫は一片の動揺も見せずに炎に向かい手を差し伸べる。
 金色の光の舞踏の中から生まれる太陽の化身、《八咫鏡》。囲う八つの真球の内の一つが光を放つ。
 見た目、何の変わりも無くとも、八咫にはそれを感じて取れる。今正に、太陽の恵みがここにある事を。
 炎の髑髏の顎が八人を飲み込もうとする瞬間、キシィィ……ン、と、余因を残すようにして音が鳴り、炎の牙が不可視の球殻に沿って流れる。
 八咫の一族に伝わる守りの秘法の一つ。名は、鏡術・縛―逆月―。本日だけでも何度か御見せしている為今更な説明かもしれないが、不可視の球殻が身を守る御技。物理的衝突の際、衝突点から淡い光が波紋のように広がる様子が、あたも地上の月のように見え、この名が付いたと母には教わった。八咫にとってはあまり興味深くない名の由来だったが、ネーミング・センスは秀逸だと思ってみたりもしていた。
 消え去る己が炎の子供に舌打ちをしながらも、火端の怒りの炎は消え去らない。どころか、自分の『聖剣』を玩具と言われ、正にその通りにあしらわれた事で、更に怒りに勢いが増す。
「好い加減、諦めたらどうだ?」
 火端が口を開くよりも先に、暫しの沈黙を守っていた大噛が割って入ってきた。言い募りたいのは山々だったが、頭の邪魔をするわけにはいかず、煮え切らない思いで火端はその場は引いた。
「確かに、ヌシ等は強いだろう。儂の想像以上だ。その三人の雑魚どもにしても、まさか生身で儂の葬兵に見劣りしないとは思わなかった。優男の兄ちゃんも、葬兵に対してすこぶる相性が良いようだ。巫女の姉ちゃんの体術も秀逸。鏡の別嬪さんの守りの技も、恐ろしく頑丈みたいだし。そっちのガキの長剣の雷は、まさか儂の《大雷邪巳》の鎧の上からあれだけの威力を貫けるとは思わなかった。奇稲田に至っては、体術でかかられたら、下手すりゃ負けていたかもしれねェ」
 淡々と、大噛自身が感じた脅威を並べ立てた。それは、ある種の敬意だったのかもしれない。
 だが、赫い瞳がカッと見開いた時、その敬意は一瞬で吹き飛んだ。
「だが!!それでもヌシ達には決定力があるまい?!せめてそのガキが奇稲田並みの剣術・体術を持つか、逆に奇稲田がそんなナマクラじゃなく、ガキの長剣を持っていればいざ知らず、現実にヌシらが儂等に敵う要因があるまい?!」
 捲くし立てる大噛の言葉に、八人は返す言葉が無かった。悔しい事だが……正に、その通りだからだ。ただ、《天叢雲剣》がナマクラ扱いされたのは心外だったが。《天叢雲剣》には、間違い無く岩を断ち、鉄を斬り、巨木を裂くだけの切れ味があるはずなのだ。
「ヌシ等では勝てはしない!!儂等『蛇の輪廻』の八首魁こそが最強!!儂等の邪巳こそが、最強の『聖剣』なんだ!!!!好い加減諦めて、死を受け入れろ!!!!!!!!」
「違うな」
 子供のように癇癪を起こした大噛に対して、唐突に静かな言葉が発せられた。
 三津草の八人と、不逞の五人の視線が声の方へと集る。声は、三津草の八人達の背中――叢雲達が走り来た方向から聞えた。
 不意に、場の空気が冷たくなる。その冷たくなった場に現れたのは、長い髪を死臭を乗せて靡かせて、吸った死臭を瞳に乗せて大噛に突き刺す男。黒く凍てつく瞳には、ギラギラと暗い炎を滾らせて、男はそこに立っていた。
「この世に最強の『剣聖』はいても、最強の『聖剣』は無い。いかに強力な『聖剣』だろうと、必ず弱点となる『聖剣』が存在する。それは、叢雲の持つ《天叢雲剣》とて例外じゃない」
 静かに月を仰ぐと、彼は腕を突き出した。そこには、いつその身を曝け出したのか、諸刃の直刃の超長刀が握られる。
「そしてその方程式は、貴様等が邪巳と奉る化け物どもにも言える事」
 赫く縦に穿たれた大噛の瞳が、横にスッと萎められた。鋭い彼の本能が、行き成り現れた男に警戒しているのだ。
「正式に伝わる銘は《天尾羽張》。別に持つ銘は《天羽々斬》。"天"は尊称、"羽々"は"蛇"、"斬"は "KILL"。意味する所は『蛇を斬り裂く聖なる剣』」
 そう言って彼は、改めて対峙する大噛を退治する為、暗く明確な殺意をぶつけた。
「貴様には怨みはないが、貴様等に積み重ねられた怨み。今ここで、晴らしてくれる」
 『死』の勢いに射竦められたのは、大噛であった。男の名は、尾羽張萩利と言った。

to be continued...

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