涙……

『じゃ、おじ様、お願いしますね』
 カメラの操作方法を手際よく親父に教えてから、香奈は戻ってきた。解かったと言ったからこそ香奈も親父に背を向けたのだが、親父はまだ首を傾げていた。
 アミューズメントパークと言えば、まァ、時代に合った言い方であろうが。とどのつまりは遊園地だ。
 香奈の高校受験合格を祝って――と言う程でもないが――、親父がわざわざ暇を作って俺達を連れてきてくれた。本音を言えば、香奈と二人っきりの方が俺的には嬉しいのだが。友人の一人娘を預かった手前、親父としても高校生だけで行動させたくないのであろう。だからこそ、邪険にせずにいてやっている。
『大丈夫ですか?』
 香奈が不安げに言った。
耄碌もうろくじじいにゃ荷が勝ち過ぎる、か?』
『うるせい!!まァ黙って突っ立ってやがれ!!これっくらいなんともねェって所見せてやる!!』
 見せられた所で大した物でもないが、親父なりの意地なんだろう。悪戦苦闘しながら、香奈から聞いた手順を何度も繰り返し試している。
 それからようよう納得がいったのか、『ドラ息子、こっち見やがれ!!』と罵声で呼び付けた。香奈には『ほら、香奈ちゃん。笑って笑って〜〜』と、態度が百八十度一転した。
 香奈が、俺の腕にしがみ付いてきた。まだまだ子供だと思っていたのだが、ニの腕に伝わる微妙な柔らかさが、否応なく成長をし測らせた。
 俺は少し緊張していた。今更だが、やはり女の子と一緒に写真に写るのが、どうにも気恥ずかしく思えて。
 早くしろよと胸中で悪態つきながらフラッシュの瞬間を待つ。だが、待てど暮らせど瞬間は訪れない。
 今にして思うと、僅か三十秒くらいの短い時間だったと思う。だが、当時は十分にも二十分にも感じられ、その間に色々と思考が廻った。
 最期に辿り着いたのは、『これが一生残るのか……』だった。
『……香奈、悪い。やっぱ俺、遠慮しとくわ』
 そそくさと逃げ出そうとしたが、腕はしっかりと捕まえられたまま。
『ま〜〜た〜〜。逃がすわけないでしょう?』
 ギュッと捕まえられた二の腕を振りほどこうにも、思った以上に香奈の力は強かった。
『頼む、後生だ。見逃してくれ!!』
『だ〜〜め!』
 その瞬間、パシャッと言う閃光音が賑やかな喧騒を割って響いた。
 瞬間の風景が――色褪せた写真の中に残る。
 永遠に残るはずのの風景は、少しずつ暗転ブラック・アウトしていく。記憶に残るはずの思い出が、融けるようにして消えて行く。
――どこへ行く?!
――どこにも行くな!!
――消えないでくれ!!
――流れていかないでくれよ!!
 言葉にならない俺の叫びを嘲笑うかのようにして……。
 哀しいはずなのに、やはり涙は流れなかった――


『玲ちゃん。ありがとうね……』
 幼い香奈が、涙を流しながら言っていた――



「……小学校ン時以来か?水島の部屋ン入るのは?」
 片付いている。そう言えば、いくらか聞こえは良いであろう。しかし、ひどく殺風景で、それでいてガランと広い部屋に、その言葉は決して似つかわしくないであろう。ただ、何も無いだけだから。
 使える物と大事な物は全て、玲の下宿に送ったらしい。そうでない物は、押し入れの中に放り込まれたか、処分された。そう、玲の母は言っていた。
「そう?僕は一月ぶりくらいかな?そん時ゃ冬休みだったからね。今日みたいな自主休校とは違って、もっとこう、晴々はればれとした気分だったケドね」
 だったらついて来るなよと。言ったところで無駄だと悟り、大人しく口を噤んだ。
 日付は水曜日。どのカレンダーを覗き見ても黒色を呈する、問答無用の平日。
 稲村と鈴木の二人は学校にも行かずに、こうして玲の部屋の前にいた。ほんの十分ほど時間をさかのぼれば、突然の来訪客に驚いた玲の母を見れたろう。
 玲の母に「どうしたの?学校は?」と問われた時、しどろもどろに言い訳ようとする鈴木と、ストレートに一言「サボりました」と答えた稲村の姿も、一緒に見て取れたはずだ。
「しっかし……見事に何も無いな……」
 昨晩、捻られた首がまだ痛い。顔を顰め、首筋を撫でながらボソリと洩らす。
「どう?そう?」
 ドアの敷居の前で佇む稲村の脇をスルリと抜け入り、部屋の中央でキョロキョロと首を巡らせてから、鈴木は訊いた。
 稲村は、静かに首を横に振った。
「居ねェよ」
 ザッと一瞥をくれるだけの簡単な確認をした後で、それだけの言葉を成して言った。
「ま、元々からして、人の気配の寂れた部屋だ。こんな所に居ない事ァ、最初ハナから見当付いてたしな」
 フゥと、溜め息混じりに肩を落として言う。しかし、そこに落胆の色は無い。ただ、事実と予想とに何の誤差も無い事を確認出来たなと言う、ちょっとした――それこそ、虚しくなるだけとも言える――達成感があっただけ。
「んじゃ、水島は〃世界〃に行ったわけじゃないの?」
「そうも言わん。シュレディンガーの猫じゃないが、〃世界〃に居るのかこっちに居るのか。確認しねェ事には、そのどっちにも可能性がある」
 肩を竦めて、そう答えた。後はそれだけ。サッときびすを返すと、用は無いとばかりにその場を去る。
「どっちにしても、〃世界〃があるとしたらここよりも香奈の家にある確率の方が高い」
「……?だったら、何で先にこっちに来たの?」
 問われた時、稲村は言い難そうな気持ちを、首裏の髪を乱暴に掻き乱す事で表した。
 どう言った物かな……?言葉の推敲を重ねていると、鈴木が快哉にも似た声を上げる。
「解かった!!」
 稲村が首をグルリと回すと、部屋の真ん中で手を打ち「納得」を表現している鈴木がいた。
 どこか含みのある流し目。稲村は言い知れぬ不安と、深い不快を感じた。
「さては、本人不在を良い事に、愛する水島の部屋で彼の事を想いながら」


「流石に……故人とは言え、女の部屋に本人の許可無く足を踏み入れるのは気が引けたからよ……」
 日は高かった。それでも、冬の風は容赦無く二人の身を吹き責める。
 一週間前、咲良に「天狗勝」で落とされた場所。思い出すと首の痛みがまたぶり返り、稲村は顔を顰めた。
 念の為に表札を確認すれば、間違い無く「由直瀬」の名がある。剛志つよし聡美さとみの隣に残る「香奈」の名が、どこか希薄な気がするなと思ったのは、周りの哀しみに当てられての事だろう。らしくもねェと、稲村は苦笑を零していた。
「何が気が引けるさ。いまさら紳士ぶっても無駄ジャン。この間男め」
 どこかやさぐれた心情を余さず吐き出した瞬間、稲村の右拳が鈴木の顎を目掛けて打ち下ろされる。打ち下ろしの右チョッピング・ライトと呼ばれる、背の高いボクサーが小兵を相手に用いる拳打ブローだ。
「さっきのニ起脚にききゃくと言い!!真剣マジ顎割れたらどうしてくれるの?!」
 かなり……痛かったらしい――「痛かった」で済む程度でも無かったように思えるが――。涙ぐんだ瞳を真っ直ぐに稲村に向けて、鈴木は抗議の声を張り上げる。
 だが――
「減らず口が一つ減って良い塩梅あんばいになるだけだ」
 欠片すらの慰めも無ければ、米粒すらの謝罪も無い。殴られた痛みよりも心の傷の方が痛いような気がして、鈴木は一人頬を濡らした。
 そんな鈴木に一瞥さえ無く、稲村はインターホンをソッと押す。
 ピンポーン。人差し指が充分に埋まった所で、くぐもった電子音が聞こえた。
 待つ事数秒。無為な沈黙も、ザーと言う砂嵐にも似た雑音ノイズが響いて消される。
『……はい?』
 雑音混じりの中でもよく通る、年配の女性の声。世間付き合いにうとい稲村の記憶に残っているのも当然で、つい一週間ほど前の葬儀の場で一言二言の会話を交わしたばかりだから。
 女性の名は、恐らく聡美。香奈の母親の名前だ。
「ども。稲村です」
 返す言葉は、商店街で旧友にでも出会ったかのような、よく言えば気さくな、しかし常識的には不躾ぶしつけな調子だった。敬語と言う物にトンと疎く、一事が万事この調子だから、初対面の目上の人間には受けが悪いのだ。
 稲村の口を塞がなかった事を後悔したのは、近所付き合いを心得た鈴木の仕事だった。
『あら、晃司君?どうしたの?こんな時間に?』
 幸いにも聡美は、近所付き合いで稲村の噂を色々と耳にしている為、その事には特に不快感を抱かずに対応に出てくれた。葬式当日の猫を被った稲村の印象が強く残っているのも、原因の一つではあるが。
 そう言えば聡美おばさんは礼儀とかには結構無頓着だったなと胸を撫で下ろしながら、鈴木が割って入る。
「おばさん。今日こんにちは」
 明るく挨拶をすると、聡美からも
「あら、良ちゃんも?二人してどうしたの?」
 と、返事が返ってくる。それは明るい声だったが――
(いつもの開けっ広げな明るさじゃ……無いよね……。まだ、無理してる……。やっぱり、香奈ちゃんの事がこたえてるんだろうな……)
 香奈の事を思い出すと今でも涙が零れそうになる。それをグッと耐えて、できる限りその話題には触れないようにしよう。そう、心の中で付け加えた。
「学校はサボりました。ちょいとこちらに用事が出来たんで」
『用事?』
 鈴木を蹴り飛ばして答えた稲村に、聡美は訝しみの念を隠さなかった。
(さて……と、なると。どう切り出したもんかなァ……?)
 稲村と聡美の遣り取りに軽く耳を傾けながら、鈴木は切り出しの流れを模索シミュレートする。
 「香奈ちゃんの部屋を見たい」と言う切り出しは、当然却下だ。心の傷を広げない為に香奈の話題を避けたいのだ。それをこれでは、何の意味も成さない事は明々白々。
 やはり、切り出しを玲の失踪に繋げるのがよろしいかと思う。そこから香奈への話題を巧みに避けつつ、彼女の部屋を見せてもらう……。
 困難である事は重々承知。しかし、遺族の気持ちを汲み取ってやるならば、それもまた致し方あるまい。鈴木は、そう言う男だ。
 結論付けるまでの時間は、然して長くはなかった。一秒では不足だが、二秒では過足。そんな、ごく短い時間。
「ええと、ですね」
 微妙な言いにくさを口に含ませる稲村に、鈴木は「替わるよ」と、高い位置にある稲村の肩に手を置いた。
「香奈ちゃんの部屋を見せて欲しいんですよ」
『……!!』
「いィ〜なァ〜むゥ〜らァァ〜〜〜〜!!!!」
 言い難そうな含みは、一体何だったのか?稲村の直球ストレートな言葉に、ノイズ越しにさえ聡美の息を呑む音が聞こえた。
 鈴木の涙に濡れた恨み声が、いんを持って明けけな空の下で響いた。
「一体何考えてんだよ?!」
 肩を掴む腕に一杯の力を入れると、稲村を強引に振り向かせる。
 思い掛けない力強さに負けた稲村は、「何だよ」と言わんばかりの険の入った視線で、鈴木の瞳を重ね見る。
 だが、鈴木は視線の険の強さを、意志の強さで返していた。
「聡美おばさんの気持ちになって言葉を選びなよ!!まだ心の整理だってついていないだろうにさ!!"黒ヒゲ危機一髪"じゃないんだから、単刀直入にも程がある!!あまりにも無神経すぎるよ!!」
 意志の強さは、優しさだった。時にそれはやっかみになる事もある。傷付ける事だって、あるかもしれない。しかし鈴木は、自分に出来る限りの優しさを、出来る限りの人間に与えていきたい……。その想いこそが、鈴木の強さ。
 童顔に似合わぬ、一人の大人が持つ剣幕の勢い。普段いつもののほほんとした表情かおは、今ばかりは真剣に引き締められる。
 常人ならば、その一生懸命さと気迫に圧倒される所だ。しかし、稲村は「煩ェな」の一言で突き放した。
「んなまどろっこしい事してられっか。大体、お前だって俺の性分が解からねェはずねェだろ?」
「……そりゃァさ、解かるよ。長い付き合いだモン」
 開き直りにも聞こえる稲村の言葉に、鈴木はブスッとした表情を崩さぬまま指折りに言葉を繋げる。
「その性は倣岸ごうがんにして不遜。態度は横柄、言葉は粗雑、滲む情意は好戦的。本位は必ず自分に置いて、他人は常頃つねごろ軽んじる。機嫌が悪けりゃ手ェ出して、機嫌が良くても足出して。縦横無尽に傍若無人な振る舞いは、正に強引に我が道を行くゴーイング・マイ・ウェイ。優しさ、思い遣り、いたわり、ねぎらいとは全く無縁」
 冷たい空気を肺一杯に吸い込んで。たっぷり二秒の時間を置いてから、ぬるい吐息に変えて吐き出した。
性根しょうねが腐ってンからなァ……」
 言いたい事を全て吐露できたのは、ある意味で幸せだったのかもしれない。何故ならば、次の瞬間には、喋りたくても喋れなくなっていたから。
 ゴゴギャ!!と。凶悪な鈍音にびねが鳴った。間隙を置かず、続け様に。
 初めの「ゴ」は、振り上げた稲村の右爪先つまさきが、鈴木の顎を跳ね上げた音。
 続く「ゴギャ!!」は、斧の一撃もくやと言わんばかりに振り下ろしたその踵が、鈴木の下顎を打ち据えた音。
 一連の動作には一分の無駄も無く、同時に、容赦なさけ躊躇まよいも無かった。
『ちょ?!何か凄い音がしたけど?!どうかしたの?!』
「いえ、別に。ノイズじゃないんですか?」
 悲鳴を上げる事さえ忘れてのたうつ鈴木に背を向けて、いけしゃーしゃーと稲村は答えた。
「それで、ですね。――見せてもらえますか?」
 改めて、訊ねた。
 短いようで長い沈黙を、ノイズが邪険に乱している。
 その耳に煩い沈黙も、実際には十秒も続かなかったであろう。ノイズの間を縫うようにして、聡美は辛うじて問う事で返す。
『どうして……?』
 たった一言の簡潔な問い掛け。稲村は、困ったような表情で、首裏の髪を掻き乱した。
 続いた沈黙を破ったのは、稲村だった。至極、短い言葉を音に成して答えて返す。
「水島を探す為です」
『玲ちゃんを……?』
「はい。咲良に聞いたんです。水島の最後の目撃情報は、香奈ちゃんの部屋だったって」
 稲村は、歯にきぬを着せず、思った事をそのまま口にして言った。言葉に甘いオブラートをかぶせるのが苦手だと――優しさって言う物が自分には似合わないと言う事を、鈴木に言われるまでも無く――自覚していたから。ただ、素直な気持ちをそのまま口にした。
「おばさんの心に、まだ整理が着いていない事くらい解かってます。名前を聞いただけでも、心に空いた穴に哀しみが溢れる事も解かっています。もう十年以上前の事だけど、俺自身、身内を失った経験をしているから。"遺族"の哀しみってのは、痛いくらいに解かっているつもりです」
 言葉の糸を繋ぎながら、稲村は思い出す。父と母を、同時に失った哀しみを。
 感傷なんてらしくない。そんな、「強がり」と「強さ」の穿き違えも紙一重の意志で、稲村は強引にその哀しみを殺していた。
「ケド……。だからこそ、か……。水島の馬鹿を見付けてやりたい。ブン殴ってでも、首に縄ァ括り付けてでも、一秒でも早く連れ帰って、親御さんを安心させてやりたい。"遺族"の涙を、これ以上流して欲しくない」
『……優しいのね……。香奈から聞いていた印象と、随分違うわ』
 聞き馴れない一言が、妙にむず痒くて。自分でもよく解からない微妙な表情を作りながら、首裏の髪を乱して言った。
「よして下さい。俺はただ、咲良に脅されて水島を探しているだけだ」
『さっきと言ってる事が違うわよ?』
 言葉とは裏腹に、声音に込められた感情は皮肉なんかでは無く、ほころびかけた柔和さだった。
『玲ちゃんの御両親が聞いたら、泣いて喜びそうな台詞だったじゃない。二人とも、涙脆いから』
「やめて下さい。俺にゃァ如何でも良い奴だけど、親にとっては息子なんだから。――ブン殴るって言ったなんて知れたら、俺が殴られる」
『フフ……。天の邪鬼な性格だって言うのは、的をているみたいね』
 「違う!!」と声を大にして返そうと思ったが、インターホンから流れるノイズの消失が、その行為の無意味さを悟らせたので、やめた。
 どこか釈然としない心曇り。後味の悪さを噛み締めて、稲村は明け透けな青空をあおいだ。それをムカつくと感じるのは、やはり天の邪鬼だからだろう。
「優しいのね……だってさ。ホント、普段いつもはド外道街道まっしぐらなのにね。どうしてその優しさを素直に出せないかなァ?」
 ツイと視線だけで見やると、いつの間にか鈴木が並んでいた。口周りを汚していた紅の色を、手持ちのハンカチで丁寧に拭いながら、上目遣いに稲村の横顔を見つめている。
「……部屋ァ見せてもらう為の方便だよ」
 フン、と高慢に鼻を鳴らし、稲村は吐きてるようにして呟いた。
 鈴木は呆れ、大仰に青空を仰いだ顔に掌を当てた。
「ホラ……またひねくれる。素直じゃないのは相変わらず」
「素直な意見だろうが!貴様こそ素直に受け入れろ。……ったく、毎度毎度知ったふうなツラァしやがって……」
「『知ったふう』じゃなくって、知ってンの。長い付き合いだモン。下手クソで、空回からまわりばかりで、傍迷惑ハタめいわくで、不慣れで、自分勝手で。そのせいで逆に人を傷付ける事も多々にある、稲村の不器用な優しさを――さ」
 チッと、舌打ちした小さな音が、稲村の口から漏れて聞こえた。顔を顰め、首裏をグシャグシャと掻き乱した。
「胸クソ悪くなるような事を言うな。二度とその口開けねェように塞いじまうぞ」
「アア、そんな……。太陽よりも熱く、永遠よりもなが口付けヴェーゼで僕の唇を奪おうだなんて!!」
「別の意味で胸クソ悪ィわ!!!俺のこの拳で、貴様の顎を叩き割ったるうとんのじゃ!!」
「禁断の愛はやはり歪んだ愛。激しくも狂おしいその愛の表現あらわれを、僕は全身で受け止めるよ」



「遅くなって御免なさいね。さ、入って……て、どうしたの?!良ちゃん?!」
「ああ、気にしないで。『激しくも狂おしい愛情表現』とやらを『全身で受け止めた』だけだから」
 大の字になって痙攣を繰り返す肉塊に驚きを隠せない聡美に、稲村は言った。拳を染めた赤いヌメりを、彼女には見えないように拭いながら。
「でも、血があんなに……」
「死にゃァしませんよ。残念ながら。……車通りが皆無に等しいのが悔やまれるな……。ま、良いか。さ、早く早く」
 思い掛けない惨状に取り乱す聡美の背を押し、稲村は家の玄関をくぐって消えた。
「僕が死んでも、"遺族"は増えるんだケド……」
 細い呟きは寒風に凍り、砕けて儚く吹き散った……

to be continued...

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