将を射んと欲すれば、先ず……?

 夏休み目前の木曜日。後は校門さえ無事にくぐり抜ける事さえ出来れば、晴れて自由の身だ。「家に帰るまでが学校ですよ」の、校長お決まりの終わり文句など知った事では無い。雲霞うんかの如く校舎から湧き溢れる少年少女の大半は、そう思って疑っていない。
 それは彼、私立滝並高等学校1年D組出席番号2番のクラブ無所属・稲村晃司にも変わらない思い。彼もまた彼もまた、高校入学後半年間で得た二人の友人を巻き込んだ夏休み計画を画策する一人だった。
 そんな彼の前に立ち塞がったのは、一人の少女。栗色に染めたフワフワの髪がよく似合う、驚く程に愛嬌のある少女だった。
 少女はそのつぶらな瞳に目一杯の勇気を詰め込むようにして稲村との高さの合わない視線を合わせた。
「「あ、白畑しらはたさん」」
 と声を揃えたのは、つい一秒前まで稲村と共に夏休み計画を企画していた伊藤と高井。二人は今にも揉み手でも始めそうなゴマすり笑みを浮かべた。対して――
「誰だ?知り合いか?」
 と、いつもと変わらぬ慇懃口調で訊く稲村。二人が彼の肩を左右からポンポンと叩き、何もかもを諦めたように苦笑を零した。
 少女の名は、白畑朱美あけみ。茶道部所属のお嬢様で、父は滝並高校の理事長、母はドラマ界の女王としてもその名を馳せる美人女優。付けて加えて男心をくすぐる彼女自身の日常の仕種の数々と愛らしい容貌も相俟って、入学してから高々半年で学校内で彼女の事を知らない生徒はいないと言われている程の話題の人となっている。事実は、稲村が一人、白畑の名前すら知らなかったが。
 しかし、伊藤と高井はその長々しい解説の数々を完璧に端折はしょって、たった一言で稲村にとっての彼女の存在を説明した。
「クラスメイト」
「知らん。いたか?こんなガキ」
 一瞬の躊躇も無く白畑を「ガキ」と言い捨てた――しかも、彼が知らないと言い張る以上、初対面だ――。白畑の姿を認めて事の成り行きを見守る群衆達の間に、一瞬のザワめきが起こって、伊藤と高井がたじろいだ。
「ま、いたんなら覚えておいてやるが。で、何の用だ?」
 知らないと言われて悲しげに俯いていた白畑が、ハッと目を上げた。そこには、ただ不遜に白畑を睨下する稲村がいる。
 周囲からの視線――その9割方が「稲村と白畑」では無く「白畑」に対する視線だが――に全く頓着しない稲村を見上げ、白畑は
「あの……」
 消え入りそうな、でも涼やかでよく通る声を立てた。妄想癖があるような種類の人間なら「妖精のような」とでも形容したそうな声だ。実際には、そこまで大袈裟に可愛い声でもないが。
 突き刺さる視線を気にしながらも、それでも怯む事無く、彼女は用意しておいたたった一言に意識を集中して――
「私と、付き合って下さい!!」
「味噌汁で顔洗って出直した上でも馬鹿を言うのは休み休みの寝言だけにしてくれ」
 電光石火の切り返しの言葉の意味は、少々解かり難い。それでも、意図すべき事だけは的確に伝わった。
 稲村に一瞬でも躊躇があったなら、ファン達の驚愕の悲鳴が聞こえただろうが、事実はその仮定を完膚なきまでに叩き伏せたので、結局の所大気を震わせたのは、ファン達の怒りの怒号だった。


 

「ってワケなのよ〜〜!!」
 机に突っ伏して泣きじゃくるクラスメイトの泣き言に、彼は――鈴木良は――稲村のクラスメイトの鈴木良は――稲村の幼馴染みの鈴木良は――生まれの病院からして同じ腐れ縁持つ鈴木良は――漸く合点をいかせた。詰まる所、校庭で繰り広げられる大乱闘は、稲村 vs 白畑朱美親衛隊(仮)腕っ節自慢って所だろう。但し、一方的に袋叩きボコになっているワケでは無い。逆に、殴り掛かることごとくを難無く返り討ちにする猛反撃。バケモノだな、アレは。
 騒ぎに駆け付けた教師陣も近付いて取り押さえるだけの度胸は無いらしく、遠巻きにただ雁首揃えて叫ぶばかりだった。
「私が言い寄ったのよ?!それを、あんな言い方って無いと思わない?!」
「そりゃ、無いとは思うケドさ……」
 困り果てた表情で視線を迷わせ、鈴木は頬をポリポリと掻いて見せる。一学期最後の日直仕事を終わらせたいのが、正直な本音だった。まァ早く終わらせようと思った理由の大半は、彼を見捨てて帰ってしまった稲村の後を追う為だったので、そう言う意味では今更早く終わらせる意味も無くなったのだが。
「問題は僕がそう思った所で、稲村がそう言う言い方する奴であると言う事実は変わらないなワケで……」
 あ、一人飛んだ。アレは確か、空手部主将・3年A組沢木慎一先輩だ。鈴木は当たりを付けた。
「稲村君があんな人だなんて、思ってもみなかった!!」
「今回はそれが解かっただけでも良しとしてさ、また別な恋を探せばいいじゃん」
 今度は一人、地面を転がって弾き出された。確か「哀乱舞憂鬱(I love you, too.)」とか言う、赤面致死量突破レベルのネーミングセンスを持った暴走族のリーダーの、2年F組黒岡洋平だったと思う。
「何言ってるのよ!!私の恋の炎はこの程度じゃ消え去らない!!そう言う邪険な一面もまた、稲村君の魅力なのよ!!」
痘痕あばた笑窪えくぼにしたって悪趣味だよ?世の中広いんだから、根気良く待てば稲村よりも魅力的な人間なんて、星の数程居るんだし」
 あ。真上に飛んで……落ちた。あれは、アイドル研究会――今時、アイドルもどうかと思うケドも――会長・3年E組宅間健だったかな?あの枯れ枝みたいな体で……命知らずな……。
「人の魅力に『よりも』は無いのよ。個人の魅力は千差万別なんだから」
「お説御もっともだけどさ……世の中には例外ってモンがさ……」
 言うだけ無駄だと悟り、溜息一つに
「恋は盲目……か」
 と付け加えた。
「それじゃ、頑張ってね。応援くらいはするから」
「鈴木君、君は何?こうやってクラスメイトが恋の想いに悩んでいるって言うのに、そんな冷たい態度を取るような子だったの?!」
「いや……そう言うワケじゃないんだケドね……」
 しどろもどろの言葉の裏に、「稲村に恋愛求めるような命知らずを相手にしている暇は無い」と言う失礼な想いがある事は、流石に口が裂けても言えなかった。
「じゃ、稲村君をオトす必勝攻略法を教えてよ。幼馴染みでしょ?」
「いや、無いんじゃないかな……」
 せめて相手が稲村以外の男なら、幼馴染みで無くてもその糸口が見付けられたかもしれないが。稲村との仲が長いからこそ彼の事を良く知るが、故に逆に攻略法の無さを痛感しているのだ。取り敢えず、この場をはぐらかす苦肉の策を打ち出すしかなかった。
「必勝法じゃ無いけど、恋愛の常套手段なら知らなくも無いよ?」
 勿論、それがどれ程に役立つかなどは知らない。そもそも、それが本当に「恋愛の常套手段」かどうかさえ、鈴木には自信が無い。
 期待に目を輝かす白畑に、少し悪い気がした。
「ほら、よく言うでしょ?『将を射んと欲すれば』ってヤツ。知ってる?」
「勿論よ」
 凄いでしょ?と言わんばかりに胸をけ反らすと、普段は殆ど気にならない白畑の女性としての部分が、制服の下から存在を誇示した。
 胸の膨らみに視線を奪われた自分の卑しさを戒めるように軽く頬を抓りながら、「どう言う意味?」と訊く。白畑の知識を疑うわけではなかったが、何となく話しの流れで。
「うんとね。『将を射んと欲すれば』の続きはね」
 "意味"じゃ無いじゃん。そんなツッコミを入れる暇も無く。
「『先ず飛雄馬ひゅーまから』」
「巨人軍に恋してるんなら僕に相談するより先に大リーグボールでも完成させた方が早いよ」
 思わずツッコミが変化球。
「冗談よ冗談」
 コロコロと笑いながら、白畑は自分のギャグ――面白くない――に訂正を入れた。
「ピューマでしょ?」
「日本日本。日本の諺」
「……アレ?違ったっけ?」
 どうやら、マジらしい。これが演技なら、流石は大女優の娘だとでも感心しても良い所だろうが……。
 脱力しながらも、鈴木は軽く助け舟を出してやった。
「ほら、『U』から始まる動物」
「ああ。ユークリッド」
「『ユー』じゃ無くってローマ字の『U』!!しかもそれ、動物じゃない!!上にギリシャ人!!」
「……ああ。兎?」
「最後は『A』!」
「ウツボカズラ?」
「それは植物!!真ん中は『M』!!」
「熊」
「頭が『U』だっーの!!」
「……。……ウズベキスタンミトコンドリア」
「絶対ワザと言ってるだろう?!『U』と『M』と『A』!!この三文字限定!!!!!」
「……ああ!!了解!!解かった!!そうと解かれば話は早い!!ありがとね、鈴木君」
 言うが早いか、投げキッスを一つ残して白畑は颯爽と教室から飛び出した。諺の答えが解かった所で――例えそれが諺の意味であろうと、それだけでどうこう出来るとはとてもじゃ無いが思えなかったが、鈴木にはこれ以上白畑と会話するだけの気力が無かった。
 気力が萎えれば、どうやら自分が勢いに任せて立ち上がっていた事を初めて知り、鈴木は腰を下ろした。
 ハァ。鈴木はダラリと両腕を後ろに伸ばし、ボソリと呟いた。
「僕って……結構大人気無かったんだなァ……」
 外を見れば、どうやら乱闘騒ぎは治まっていたらしい。変わりに、別な騒ぎで賑わっている。
 稲村が顔面蒼白にして泡を吹いている。擒拿きんな術・抱膝拉頚ほうしつらけい――解かり易く言ってしまえばキャメル・クラッチ――を仕掛けられている真最中だ。
 教師達は、その仕掛け人を無理矢理引き剥がそうと躍起になる。
 仕掛け人の名を、鈴木はよく知っていた。3年A組鈴木咲良――鈴木良の実姉だった。


 

「――で?」
 蝉の声はまだまだ力強く、弱まる勢いは無い。8月27日の15:00少し過ぎ。晴れ過ぎて逆に苛立ちの原因にさえなる真夏のただ中で、クーラーさえ付けずとも冷え切った自分の体を、鈴木は何とも無しに理不尽に思った。僕はただ、そう言う三流漫才を繰り広げただけなのに……と。
「贈られて来たのが、このゴミの山か?」
 言って、稲村は目の前でフン縛っておいた紙屑やエトセトラの山を指差した。その紙屑の群れの真ん中の一際大きなゴミは、鳥篭を風呂敷包みに丁寧に梱包した物。中身は確認済みで、どうもナマモノみたいだ。
「いやね。僕だってまさか、あそこまでヒントを出して『馬』だって気付かないとは思わないわけで」
 必死で場の状況を誤魔化そうとしている意志がありありと解かる薄っぺらな笑みは、天井の片隅へと向かって放り投げられている。
「お前がどう思おうと俺の知ったこっちゃないがな」
 言って、無作為に縛られる紙屑の中から一枚、引き抜いた。その内容を確認する事も無く鈴木に付き付けると、
「これは一体何だ?こら」
 それは一枚のスナップ写真の切り抜き。古臭いポラロイドか何かで撮られたのであろうか?ピンぼけしている。それを更に質の悪い印刷機に掛けているらしく、画素の劣化が著しい。しかもその切り抜き自体も相当に日を経ているようで、スナップされた対象の正体を割り出すのは、恐ろしく困難だ。
 結局の所、その割り出しを容易に行なえたのはある意味で「運が良かった」からだろう。二人とも、小学生の頃に何度かお目にした記憶のあるスナップだったから。
 鈴木は答えた。
「ネス湖のネッシー……かな?」
「多分な」
 今でも思うが、ネーミングセンスは最悪だ。
「で、他には何だ?人面犬に人面魚だろ、ビッグフット、スカイ・フィッシュ、イエティ、クリッター、サンダーバード、ニュー・ネッシー、後は……え〜、エメラ・ントゥカ?アフリカの一角獣か。知らねェな。で、バッチカッチ?え〜〜、蝙蝠バットとサスカッチの複合語?ネーミングにもう少しセンスが欲しいな。……怪人赤マントやら口裂け女まであるな」
 頭から手に取るなり、乱暴にバサバサと放り投げる。後で部屋の掃除が大変だと、鈴木は口をへの字に曲げて不満を顔に出す。
 そんな鈴木の心境など露知らず、稲村はどんどん紙を放り投げて行く。全部に目を通したワケでは無いが、どうやらアーバンレジェンドさえも含んだ、奇妙奇天烈な噂先行型の怪動物達のピンナップ写真や目撃情報の切り抜き記事、果てにはどこでこさえて来たのかキーホルダー等のグッズの群れまでが、僅か10秒で散らかり放題。
「あのバカ女、これでどうやってどんな将を射ようってんだ?!脳味噌腐ってじゃないのか?!」
「性格腐ってるよりはなんぼかマシだけどね」
「どう言う意味でホザく?!」
 キッと睨み付けられるなり、慌てて鈴木が視線を反らす。
「でもまァ、これに関しては別に僕は悪くないんだよ。だって、僕はただ恋愛の常套手段として知っている諺を教えただけであって……」
「んじゃ、この数々のゴミはどう説明する?!」
 ゴミの山は、今朝稲村の元に届いた。朝の惰眠を貪る至福の一時を、連続して鳴るインターホンに起こされ、不機嫌なまま寝巻き姿で玄関先へ出た瞬間、有無を言わさず白畑から「受け取って下さい」。
 恥じらい混じりに大量の贈り物を渡されて、一瞬呆気に取られる間には、既に白畑は走り去っていた。
 取り敢えず何の事かと中身を覗き見れば、この膨大な量のゴミの山。一番上には例の鳥篭と、少女趣味の手紙が1通。苛立たしげに目を通すと、こう書かれていた。
「鈴木君から聞きました。稲村君に贈ります。
        白畑より 海より深く空より広い愛を込めて」
 その手紙は破り捨ててライターで焼き払っておいた。その上で、塩を撒いて置く事を忘れない――清め塩では無く食卓塩だが。どうやら稲村からの愛は、海は海でも「死海」のように沈む事などあたいはせず、空も精々「上の空」と言った所のようだ。
 だから、その「鈴木から聞いた事」の正体を知りたくて押し掛けて来たわけだ。
 困り顔で頬を掻くと、鈴木は自信無さげに呟いた。
「多分……」
「多分?!」
「将を射んと欲すれば……」
「すれば?!」
「先ずUMAからって」
「言うわきゃないだろ!!このダボハゼがぁ!!」
 UMA――Unidentified Mysterious Animal。いわゆる「未確認生命体」の事で、一般にユーマと呼ぶ。しかし、このユーマと言う呼び名が一般的なのは飽く迄も日本での話であり、「国際未知動物学会」ではUMAでは無く「Hidden Animal」として定着している。
 などと雑学を披露するだけの間も無く、手近にあった鳥篭を力任せに鈴木の顔面に叩き付けた。ひしゃげた籠の中から「ピ!」と鳥に似た鳴き声が鳴り、凹んだ鈴木の鼻から「ブ!」と空気が洩れる音が鳴る。
 鈴木にぶつかった鳥篭が撥ね上がり、倒れる鈴木のすぐ隣に落ちて壊れた。
「鈴木、このゴミの山、責任持って片しとけよ」
 怒りに肩を震わせて、高圧的に命令を叩き付けた。
「え〜、でも、これって稲村への愛の篭もった贈り物だよ?」
「迷惑だ!」
「一ヶ月しかない夏休みを使って、これだけ収集してくれたんだからさ」
「邪魔だ!」
「でも、その気持ちだけでも受け取ってあげて」
「要らん!」
「交際を受ける受けないは一先ず置いておいて、白畑さんとの付き合い方をもっとこう真剣に考えてあげても」
「時間の無駄だ!!」
 あらゆる鈴木からの常識的進言は、完全無欠に却下。人情の欠片も無い……。
「でも、白畑さんの愛の力、凄いと思わない?こんな」
 言いながら、鈴木は鳥篭としての任務を真っ当出来なくなった物の中に手を突っ込み。
「珍しい物まで一生懸命見付けて来てさ」
 無雑作に引っ張り出す。鈴木の手に捕まえられた『それ』は、長く切なく「ピー!」と泣いた。
 それは、残念ながら鳥ではなかった。奇妙な爬虫類だった。
 体長は70cm程度。手足は無く、蛇を連想させる。頭は丸くって、何気に顔には愛嬌もある。胴回りはビールビンくらいだろうか、尻尾の所で細くなる所も似ている。鱗に覆われた全体は灰色に近い黒色だが、腹部は紫がかった白色。尻尾を捕まれ宙吊りになれながら、尺取虫しゃくとりむしのように縦に身をくねらせ暴れている。
 鳥篭に据え付けられた白畑手製の注釈文には、このように書かれていた。
「ツチノコ  岡山県産  日本を代表するUMAで、昭和40年頃にブームになる
   名前はスカビ。朱美スカーレット・ビュティーの略よ。
   私だと思って、可愛がってあげてねv」
 稲村はムンズとスカビを掴むと軽く助走を付け、
ブン!!
 窓から外に向かって、力任せに放り投げた。スカビの鳴き声だけが、妙に尾を引いていた。
「ああ?!」
 思わぬ行動に、鈴木が慌てて窓枠にへばり付いた時には、既にスカビの姿は消えて無くなっていた。そう言えば、体育の遠投で130mと言う、高校生らしからぬふざけた記録を出して野球部に勧誘されていたっけと、過去の記憶を引っ張り出していた。
 鈴木の首根っこを引っこ抜き、
「バカの度合いが凄いだけだ!!!!」
 ついでとばかりに、鈴木を窓から投げ捨てた。因みに、ここは二階だ。
 鈴木の悲鳴が夏の空に響くのを遠くに聞きながら、物語はクローズアウトする……

お粗末!!!
いや、マジで


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