氏の言霊使い

「どうも有り難う御座いました」
 翌日は快晴だった。
 玄関先で、楽志はペコリと頭を下げた。
 顔を上げた今のその瞳に翳りは無い。全てに対して真っ向から臨む、強い意志の色がある。
「もう、名前負けしてないわよね」
「……名前通り、可愛くなりました?」
「もう……そうじゃないでしょう?」
 苦笑する霊見に、楽志は照れたように微笑んだ。
「解かってますよ」
 以前まえは思った。
 「可愛い名前」に対して、「可愛くない自分」は名前負けしている、と。
 だが、今は違った。
 逃げる事で人生を断つのでは無く、立ち向かう事で楽しむ。それが「名前負けしない楽志」の姿。
「もう、名前を嫌いになったりしません。お父さんが贈ってくれた幸せの為の名前。お母さんが名付けてくれた生きる意志に満ちた名前」
 瞳を閉じ、両親の姿を思い浮かべる。もうこれから先……会う機会はないだろう。寂しくは思うが、悲しくはなかった。その思いは不思議でも何でもない。いつもいつまでも自分の名前なかで見守っていてくれるから。
「往生してから、お父さんとお母さんに会わせる顔がなくっちゃ立つ瀬無いモンね」
 往生とはまた……と思いはしたがそれ以上に、位置場は彼女のその言葉に、嬉しさが込み上げる。
「もう、苛められんなよな」
「それについては周囲まわり次第ですから、何とも返事が難いですけど……でも、絶対に。決して。負けたりだけはしません」
 楽志の瞳に映る自分の姿が、褪せる事無く映っていた。澄んだ目だな。形命は不器用な笑みを浮かべた。
「もう、『アンちゃん』だなんで呼ばれても黙っていたりしない。真っ向から受けて立ってやる。そうじゃなくっちゃ、お父さんとお母さんに申し訳無いもの」
「そうか。頑張れよ」
「はい!」
 元気な返事。溢れる笑顔の快活さ。忘れる事の出来ない、最高の笑顔だ。
 それから、思い出したかのように位置場に視線を合わせる。
「位置場さん」
「ん?」
「『位置場渡』って……」
 そこで楽志は一旦言葉を切った。それから意を決するように言葉を繋げた。
「本名なんですか?」
「はい?!」
 脈絡の無い質問に、位置場は頓狂な声で返してしまった。
 数秒を沈黙で済ませる。眉間に皺を寄せたまま、位置場が返す。
「どうして。そう思った?」
「どうして……って」
 あまりに突拍子の無い質問だったかな?そんな気恥ずかしい気持ちで胸が一杯になり、少し顔を赤らめる。やっぱり言わなければ良かったかな?
「位置場さんは昨晩きのう言いましたよね?『氏の言霊使い』の一族は、名前の意味を追求しているって」
 無言でうなずく位置場。
「その位置場さんの名前を与えた両親が……ただ役に立ちそうだからって、その名前に意味を与えたとは……どうしても思えないんです」
「へぇ?……じゃぁ、例えばどんな名前だと思う?」
「それは……」
 口篭もる。たっぷり一分間は熟考しただろう。
「『幸』せを『与』える――「幸与ゆきよ」――。……あはは、そんなワケないよね」
 楽志の笑いは照れ隠しの笑いだったが、位置場の笑いは違った。
「良い名前だよ」
 満面の笑み。
 思い掛けなかったその笑みに、楽志は何処か嬉しそう、もう一度照れ隠しの笑いを浮かべた。
「もうしも俺に子供が出来たら、その名前を貰っても良いかい?」
「はい、勿論――」
 言い掛けてから、慌てて首を横に振った。
「やっぱり、駄目です。位置場さんはいったじゃないですか。『名前は両親からの初めての贈り物だ』って。子供の名前は、位置場さんとお嫁さんで考えて下さい」
 少し悪戯いたずらっぽい笑顔で。空に見える太陽よりも明るい笑顔で。楽志は笑った。
 位置場はクシャリと楽志の髪の毛を掻き乱した。
「偉い」
 その一言に、全てを詰め込んだ。何と言うのか――嬉しさ、喜び、期待、希望。そんな言葉でも言い表すには不足する『何か』の全てを。
 その一言を、楽志は猫のように細めた瞳を持つ表情で受けとめた。
「皆さんのお陰です。本当に、有り難う御座いました。位置場さん。変な事聞いちゃって御免なさい」
 楽志は最後に会釈して別れを告げた。
 位置場に。
 形命に。
 霊見に。
 その挨拶は「さようなら」では無かった。
 その挨拶は「また会いましょう」だった。



「三人目。だよな?」
 事務所の中で、位置場はポツリと呟いた。
 ブランデーを傾けながら、別に見たいわけでも無く、ただ番組を変えるのが面倒だから垂れ流されるままにされたアニメに目をやる形命。いつも通りにラップトップ・パソコンに向かってカタカタとタイピングの音を立てる霊見。
「『位置場いちばわたる』が別名ふたつなだって直感かんじたのは」
 二人の視線が、霊見のすぐ隣でテーブルに肘を突く位置場に集った。
「霊見。お前は俺の本名、何て予想したっけ?」
 横目で尋ねる。霊見の視点からでは、睨み付けられているようにも見える。
 パソコンの画面ディスプレイを溜息混じりに閉じてから、
「『優』しい『輝』き――優輝ゆうき
 次いで形命に視線だけで尋ねる。
「『心』を『持』つ者――心持しんじ
 フゥ……と、位置場は溜息を吐く。
「ブウウウゥゥゥゥ〜〜〜〜」
「黙れ」
 形命からの突っ込みは言葉だけ。霊見からは裏拳だ。
「ま、確かに俺達の予感は見当違いだったわな」
「それについては異論は無いけどさ……。なんか腹立つムカツクのよね、これ」
 鼻面押さえて咳き込む位置場。霊見には「これ」扱い。形命も笑うだけで気遣う様子も無い。少しだけ、自分の存在を悲しく思う。
「でも……楽志が一番近いな……」
「……そっか。そうだよね」
 形命のしみじみた言葉に、霊見もぼんやりと応えた。
「楽志ちゃん、さ。……ここにつどうかな?」
「さァな」
 何気ない霊見の一言に、形命はブランデーの味を喉越しに感じながら、呟くように応える。
「どうだろうなぁ?」
「解からないよねェ」
 両肘をテーブルに落とし、霊見は視線を天井にやる。
「でも……さ」
「ああ」

 
来ると 良いよね……」
 
良いな」
「来るさ……。きっと、な……」
 二人の感慨に、位置場が自信を持って答えた。
 彼は、「氏の言霊使い」の一族。その姓は『言霊ことだま』。
 親から受け継いだ名。一つは『位置場いちばわたる』。氏の言霊使いとしての使命をより的確にこなせるように与えられた、もう一つの名。
 真の名は、別にある。
 言霊を用いて、親から子へと受け『継』がれる『幸』せの橋渡しになって欲しい。その名には、そんな願いが満ちていた。
 『言霊ことだま幸継ゆきつぐ』。位置場渡の……一番大切な名だ。決して、その名を恥じる事は無い。
 楽志がその名前を知るのは。氏の言霊使いの全貌を知るのは。今から二年程先の事だ。


All is over
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