第七章 その怒り、止まぬ心の泉かな...
「それで、ですね」
取り敢えず。食事を取る二人と尾羽張との間に入り、伊真はまず、知り合って久しい間柄の二人の方を右手で指し示し、
「こちらが」
「八尺瓊瓊輝です。よろしく」
「八咫伽模よ」
食事の手を休め、八尺瓊と名乗る美丈夫が大袈裟な程に優雅に自己紹介をする。それに追随して、金属の如く無感情な声音で、八咫と名乗る女性。八尺瓊とは違い、ぶっきらぼうと呼べる程、簡素に。
差し出した手のやり場に困り、伊真は沈黙のまま右手を引っ込める。
気を取り直し、次いで、左手で知り合って間も無い尾羽張を差して
「こち」
「尾羽張萩利だ」
「らが」が、尾羽張の投げやりな言葉に掻き消された。伊真は少し、悲しそうな表情を見せた。
尾羽張にとって、そんな伊真の表情など、至極些末な事であった。彼女の方など顧みもせず、彼は二人の美形に尋ねる。
「八尺瓊一族に八咫一族。ここには他にも、叢雲の一族がいるんだな?」
八尺瓊は静かにシチューを啜り、上目遣いに尾羽張を睨み上げた。
スプーンを中身の残る皿にコトリと置き、上品な仕種でもってハンカチで唇の周りを軽く拭う。それから、彼は答えた。
「ええ。ここは、三津草の街。三津草はすなわち三種。『剣聖蜂起の世界大戦』の終焉直後、叢雲を筆頭とした三氏族の長――私達の祖父ですが――を中心に興った街です。今も、私達三氏族を中心に、有志を募った自警団の方々と共に、この街の治安を維持していっております」
八尺瓊の説明。しかし、尾羽張が聞いていたのは、「ええ」と言う、最初に答えた肯定の返事だけ。後の話は、尾羽張の記憶から即刻削除された。必要なのは、この街に「叢雲」「八尺瓊」「八咫」の一族――三神器の一族がいると言う事だけだ。
「三神器の一族について、知っておいでで?」
問う八尺瓊に、尾羽張は無言で答えた。「知らいでか……」と。当然、八尺瓊には聞えない。
三神器とは、即ち三種の神器。古来、日本と呼ばれていた国に伝えられる剣・鏡・勾玉の事だ。
剣――それは、天叢雲剣。其が象徴するは征服。八岐大蛇の尾より生まれし宝剣。
鏡――それは、八咫鏡。其が象徴するは平安。天照大御神の化身とさえ云わしめる霊鏡。
勾玉――それは、八尺瓊勾玉。其が象徴するは豊穣。誓約の際、五柱もの神を産み落としし神璽。
叢雲・八咫・八尺瓊の名を冠する一族は、それぞれが神宝を、脈々とその内に受け継いできた一族の事。彼らは、その末席に位置し、宿業を担う者達だ。
「で、わたし達の姓に反応を示すと言う事は、何らかの意味なり意図があっての事でしょう?それは、一体何なの?」
尾羽張に顔も合わせようとせず、淡々とした口調で問うた八咫。八尺瓊から「人と話す時は、相手の顔を見て」と注意されたが、聞く耳を持っていない様子だ。
尾羽張もその質問に暫しの無言でもって構える。
後に続く沈黙が自分自身に起因する物だと言う事実をくみ取り、尾羽張は仕方なさそうに口を開く。
「貴様らこそ……尾羽張の姓に何の記憶もないのか?」
思わぬ問いに、八尺瓊は怪訝そうな表情を見せ、八咫と顔を見合わせる。一方八咫は、いつもの無表情を崩さないが、疑問には思っている様子だ――と思う。
「さァ……記憶にはありませんけど……」
「知るわけないじゃない。そんな変な名前」
至極失礼な回答は、八咫のものだ。取り敢えず、自分の名前が変であると言う事実は棚の上に放り投げている。
二人の返事に、尾羽張は少し憮然とした表情を見せた。
(確かに、神話の時代から数千年の時間が過ぎてきたんだ……どこかで伝承が途絶える事とて。あるかもしれないな)
結論付ける。後はそう、如何でも良い事であった。寧ろ、八尺瓊と八咫が尾羽張の姓を知っていたからとて、今となっては尾羽張には関係のない事だ。
(伝承も伝説も……運命も。全ては如何でも良い事だ)
枕に顔を埋め直し、全てから関心を失った。
「自分から問い質しておいて、何の説明も無し?随分と躾がなっていないのね」
たっぷりと皮肉を込めて、八咫が呟いた。声に感情がこもっていない為、それがただの呟きなのか、怒りの表現なのか。そこまでは解からなかったが。
尾羽張は、それに答えない。黙って枕に顔を埋める。最早、八咫の言葉を聞いていたかどうかも怪しい。
「……瓊輝。あの子、随分と無愛想よ」
「言い過ぎです。大体、愛想の悪さについては伽模君だって引けをとらないでしょうに」
流石に、八尺瓊が窘めた。
「ですけど、確かに気にはなりますね。尾羽張君……で良いですかね?できましたら、説明が欲しいのですけども」
八尺瓊にそう問われた。が、それも無視。完全に、八尺瓊と八咫から興味を失っていた。
諦めたように肩を竦め、八尺瓊は残ったシチューを啜り始めた。
沈黙の中、伊真はどのように場を取り繕おうか?と、一人オロオロとしていた。どうにかして、三人の間に会話を取り持とうとして。面倒見が良い……と、言うのだろうか?
「そう言えば、尾羽張さん。八尺瓊さんと八咫さんが貴男を助けて下さいましたのよ」
尾羽張は、「そうか」とだけ呟いた。胸中で、だ。
「無愛想極まりないわね。あんた、他人から嫌われてるでしょう?」
「八咫さん……!!」
また、火に油を注ぐような事を!!尾羽張の機嫌を慮った上で、八咫の余りに礼儀知らずな言葉を聞き咎める。実際の所、尾羽張は、八咫の言葉なぞ気にも留めていないため、全ては伊真の杞憂に終わったのだが。
しかし兎に角、伊真はそれが杞憂だと言う事にさえ気が回らない。八咫を諌めるのは八尺瓊に任せ、伊真はその場を取り繕おうと、尾羽張に新しい話題を振る。まァ……世話好きなのだろう。
「そうだ、え……と……ですね。八咫さんが《八咫鏡》で貴男を見付けて下さいまして、それから、八尺瓊さんが《八尺瓊勾玉》で傷を癒して下さいましたのよ」
「正直、もう駄目だと思いましたけどね。並外れた生命力と精神力とがあったからでしょうね。あれだけの傷を受けて、血を流して。今こうして私達と会話を交わせるのは、奇跡と言っても差しつかえないようにさえ思えます」
場の取り繕いに必死な伊真に合わせて、八咫には一言「好い加減になさい」とだけ釘を刺した八尺瓊が追随する。尾羽張は、聞く耳も持っていない様子だが。
「有り難うの一言も無し?」
「如何でも良い事だからな。生かしてもらおうが……見殺しにされようが……」
やはり、刺した釘は簡単に抜け落ちたようだ。今日だけで幾度目になるのか……肩を落としながら窘めようとする八尺瓊より先じて、尾羽張がそう答えた。
その尾羽張の答えに、八尺瓊が「やばい」と言う表情を見せた事を、尾羽張は見逃さなかった。他人の動向に気をやるとは……珍しい事もあるものだ。
更に一瞬、伊真が眉根を顰めたのも見えたような気もした。ただ、それを確認するよりも早く、八咫が素早く伊真へと言葉を放ったため、確認できなかった――確認まではする気もなかったが。
「そう言えば沙梛。あなた、また何かしたの?薙葉がお冠だったわよ」
もしかしたら、八咫も八尺瓊と同じ気持ちを感じていたのかもしれない。声はいつもの無機質なままだったが言葉が少し早口になっていた。
「……あ……」
言われて、手を叩いた。何か、思い当たる節があるらしい。
「……どうして……叢雲さんが……?」
困った表情でオロオロとしながら、明らかに狼狽している様子だった。
「ああ、それでしたら、私が叢雲君に報告しておきました」
「ええ?!叢雲さんに言ってしまったのですか?!折角わたくしが黙っておきましたのに……」
「時間の問題でしょうに……」
伊真の抗議の言葉を、苦笑混じりに流す八尺瓊。
「ま、何したか知らないけどさ、覚悟決めた方が良いわよ」
手を合わせ、八咫は御馳走様を言う。言葉の無感情さが沈痛の面持ちにも聞こえ、まるで御愁傷様だ。
「そんなに……怒っていました?」
「ええ。それはもう」
無表情のまま、大袈裟に肩を竦めて見せた。
「かなり怒っていたわよ。それこそ、こんな」
ドビクゥ!!と、効果音さえ大袈裟に。空気を震わせんばかりに肩を揺らし、身じろぎしたのは伊真だった。口からは「ヒッ!!」と、小さく可愛らしい、刻むような悲鳴が零れた。
その理由は、唐突に表情を豹変させた、対面する八咫だ。それまでの無表情な鉄仮面が、瞬時にして憤怒の形相へと変化。さながら、阿吽の仁王か悪鬼か羅刹か。無機質な声音と揃うと、余りの違和感に戦慄さえ覚える。どうやら彼女の面相は、感情とは完全に無縁な物であるようだ。
時間にしたらほんの1[sec]になるかならないかの時間の凍結。
「伊真!!」
その時間を解凍したのは、けたたましい音を立てて蹴開けられた扉だった。
伊真の悲鳴に顔を上げた尾羽張は、瞬間、蹴開けられた扉の方へと視線をやってしまっていた。
見ると、そこに立つのは年の頃なら二十代前、十代末期の――丁度、少女から女性へと成長を遂げようとする蛹の年頃の――少女。その形相は、つい今しがた八咫が見せた怒りの仮面。見えていたのなら、尾羽張は八咫の表情を重ねていたに違いない。
「形相で」
いつもの鉄仮面に戻った八咫が、更に後を続けて言った。
「だから……気を付けた方が良いわよ」
と。最後にもう一言、呟きを一つ繋げてみたりもする。
「今更だけどね」