土砂降りの雨・暗闇の中、路上の雨溜まりを跳ねとばし駆ける。 私の立てる足音に後方から来る複数の足音が混ざる。その後方からの足音は徐々に近づいてくる。 「振り切れないか・・・」 私は意を決すると、来ていた外套を投げ捨て、腰に差していた剣を引き抜く。私の後を追ってきていた男達は、私の前方50メートルほどの距離で立ち止まる。黒衣の男達は無言のままそれぞれの武器を取りだし、じりじりと私への距離を縮める。 「神よ・・・我に力を・・・」 刃に刻まれた聖印を指でなぞり、静かに祈りの言葉を紡ぐ・・・大きな音を立てて私に向けて飛びかかってくる男に向け、私は一歩後ろに下がりつつ剣を一閃させる。銀の光りは男の黒衣を、そしてその下にある男の喉笛を切り裂く。飛び散る鮮血をかき分け、次々と接近してくる男達に私は刃を4度振る。 5人の男達が倒れ伏したのを確認し、私は投げ捨てた外套を拾い再び雨中の中を駆ける。 走る、走る、走る・・・ひたすらに走り、曲がり角に当たるたびに方向を切り替えさらに先に進む。降り止まぬ冷たい雨が徐々に体温を、体力を奪っていく。腰に下げた剣の重みを感じるようになる。足取りが徐々に重くなっていく・・・ 「はぁ・はぁ・はぁ・・・つっ」 限界まで酷使した体がバランスを崩す。路上に倒れ込むのをなんとかこらえ、残されたわずかな力で雨の降り込まぬ廃屋の軒下に体を運ぶ。 腰から外した剣鞘を胸で抱え、荒い呼吸を精一杯整えようとする。徐々に薄れゆく意識の中、雨音が途切れていくのを感じた。 ・*・†・*・ 「自分にとってもっとも大切なことは何か?そんな事を考える事はありませんか、シスター・クロレア」 「聖典の第2章6節ですかシルメア様」 目の前の細身の女性に対し、私は怪訝な表情で尋ねる。それに対して彼女は笑顔で首を小さく横に振る。 「いいえ、単なる友人とのお話ですよ、クロレア」 「・・・こんな時に余裕なのねシルメア・・・」 溜め息と共に出す私の声に、彼女は声を出さずに笑い周囲に居並ぶ人々を見回す。 「自分にとってもっとも大切なこととはなんでしょうね・・・命?お金?地位?愛する人?それとも神?」 「他の人間はどうかは分からないけど、私にとっては貴女のことが大切だわ」 「ありがとう、クロレア・・・でも、それが貴女の一番である必要はないわ。特に、今となっては」 「いいえ。今だからこそ、大切なのよ」 「ありがとう」 小さく頭をさげる彼女。言葉を途切らせた私達の頭上、段上に現れた男がこの室内にいる全ての人間に聞こえる声量で言葉を発する。 「咎人シルメア・ラナフォード枢機卿。汝の裁きをこれより始める」
・*・†・*・ 「生きている・・・生きながらえてしまったみたいね」 湿った外套を脱ぎ捨て、私はわずかな日の光が差す場所を目指し立ち上がり、胸に抱いたままの剣鞘を腰に差し歩む。元はこの家屋の庭に当たったのか、広がったスペースの中央、がれきの中に転がっている手頃な大きさの石の上に座り空を仰ぎ見る。雲間から差す薄日を眩しく思い、瞳を少し閉じる。 「1週間ぶりの日の光・・・貴女はこの光を見ることが出来てる?シルメア」 服の上から、胸元にあるロザリオを握る。その硬質感を手のひらで感じながら、ゆっくりと自分の体の消耗を考える。 異端審問官の手より逃げること2週間。そのうちにの追っ手に見つかって後の10日間。さらにろくに食事・睡眠をとっていない3日間・・・これだけを考えても、今朝目が覚めたのは僥倖以外の何者でもないだろう。死んでいてもおかしくは無かったはずだ。 「死ぬことさえ許されていないのかしら・・・ね。でも、簡単にくれてあげるわけにもいかない」 強くロザリオを握りしめ、私は静かに立ち上がる。一夜の雨宿りと、与えてくれた日の光のために廃屋に向け小さく聖印をきりそこを後にする。
・*・†・*・ 「何を考えているのシルメア。ハーグリーブス枢機卿一派に反抗の姿勢を見せるなんて・・・教団の半数以上を敵に回したのよ」 「反抗の姿勢って、ただ間違っていると思ったから反対しただけよ。何をそんなに慌てているの?」 椅子に座っていた彼女は私を見上げると、視線を細めて言う。 「ただ反対しただけって・・・分かっているの、ハーグリーブス卿がロマニア国務聖省長官の官位を拝借することに反対したのよ。枢機卿である貴女が。あれはどう見ても貴女が国務聖省入りを望んでいるようにしか見えない」 「私はそんなこと望んでいないし、一度だって言ったこともないわ。純粋に彼では務まらないと判断したから反対したの。それ以上の考えは無いわ」 「しかし、周りはそう見ない。それに何故反対する必要があるの?ハーグリーブス卿ほどの政治家は今の教団にはいないじゃない」 「ええ、彼はとても優秀な人ね・・・でも、彼は貴女が言うように政治家なのよ。宗教家ではないわ。国務聖省に政治家をいれるわけにはいかないわ」 手にしていた書類を束ね、机を置いた彼女は窓際に向かう。私はその後を追い、壁に背を預けた彼女と向かい合う。 「何故そう思うの?」 「国務聖省は国家と教団との交友を高めると同時に、国家体制に教義を押し入れないようにする必要があるわ」 「教団の人間が実際に政治を行ってはいけないと言いたいのでしょう?だからこそ、ハーグリーブス卿が適任なのではないの?」 「彼をずいぶん高く評価してるのね、クロレア」 「そんなことはない。私は貴女が心配なだけ。ハーグリーブス卿に反抗する必要がない、そう言いたいの。そこまで重要視しなければいけないことなの」 「逆ね。貴女は彼を低く見てるかしら」 「どういうこと」 「彼は教団にとって善き道を選ぶ人ではないわ」 「分かっているわ。巡察執行騎士団ね・・・評判がとても良くないと聞く」 「貴女も呼ばれたそうね。とても優秀な騎士がそろっているようね」 「あれが目指すのは武力による反対勢力の鎮圧。そんなことに私は興味がない・・・それより、分かっているのシルメア、貴女の周りで巡察執行の人間がいろいろと動いている」 「そうみたいね・・・」 「分かっているのならなんとかしないと。反対の発言を取り下げるなり、身辺を固めるなり・・・どちらにしても時間はそれほど無い」 「発言は取り下げないわ」 私の目を見、キッパリとした言葉で言う彼女に私は大きく嘆息する。 「ならば、身辺に護衛を付けた方が良い。私1人では限界がある」 「そんな必要はないわ」 「シルメア!」 「そんな大きな声ださないで。大丈夫よ、いくらなんでも直接私に手を出してくるとは考えづらいわ。それより周囲にいる貴女のことの方が心配よ」 笑顔の彼女に私は、小さく首を振る。 「そんな心配をしている場合?何処にそんな余裕があるの?」 私はもはや、あきらめの混じった声でそう言う。そんな私に彼女は変わらぬ笑顔で告げる。 「大丈夫よ」 その数日後、彼女の裁判が始まる・・・
・*・†・*・ 人混みに紛れ雑踏を進む。数日ぶりの食事をして多少体が軽くなった感じはする。それほど外傷が無かったのが幸いだっといえる。 「それでもリスクは有ったようね・・・」 つかず離れずの距離で進む集団を意識し、蛇行を繰り返す。明らかな気配の変化を数度感じ、人数の入れ替わりを確認する。かなりの人数に追跡されているようだ。問題は人数では無いとも言えるが、やはり数の驚異は有る。そんなことを漠然と考え、胸元のロザリオに触れる。 追跡者の目をはずれるように道を進むうちに、やがて自分がどんな道を進んでいるのかに気づく。 「誘導されている」 前方で感じた気配に、直ぐ横の道を曲がる。そんなことの繰り返しのうちに、追跡者の誘導に乗ってしまったようだ。 「行き止まりか・・・」 道をふさぐ建物存在を目にし、私はゆっくりと振り返る。まだ追跡者の姿は見えないが姿を現すのは時間の問題だろう。ならば・・・ 「ここでやるしか、無い」 ゆっくりと言葉にして吐き、剣を引き抜く。 引き抜いた剣を目の前にかざし、刀身に彫り込まれた聖印を目で追う。 「神が造りたもう、大いなる破壊の力。我に仇なす外敵に、神の意向に反する者共に、その力を振るうことをお許し下さい」 道を塞ぐように現れた追跡者達。彼等に向け、ゆっくりと剣先を向ける。 その瞬間、前方にいた男達が一斉に武器を手に飛びかかってくる。向かい来る剣戟を、私は横一線の剣戟ではじき返す。バランスを崩した2人の首がいっぺんに飛び、それにおののいた3人の首も迷わず叩ききる。 時間差で迫ってきた2弾めの攻撃は後ろに下がり間合いを外す。目の前を過ぎた武器の持ち手の腕を順次切り落とす。腕と武器を失った者が、無謀に飛びかかってくるが冷静に1人ずつ切り伏せていく。 「下がりたまえ。君達では彼女の相手は荷が重いようだ」 抜き身の剣を無造作にぶら下げたまま、集団の後ろにいた男がゆったりとした足取りで前へ進み出てくる。 「初めましてシスター・クロレア。私、巡察執行騎士団・2の1隊を治めさせていただいているジャンバルト・アーエンと申します。どうぞ、お見知り置きを」 「何か、意味があるの?殺す相手の名前を知ることが」 「死にきれないでしょう・・・殺されて、さらに自分の剣を奪われる相手の名前も知らないなんて」 「そう・・・それが目的。でも、あなたには荷が重いわ」 私は手にした剣を一振りし、刀身に付着した血を飛ばす。点々とした血しぶきが男の足下まで伸びる。 「あなた達は知らな過ぎる・・・剣の持つ、本当の恐ろしさを」 相手に突先を向けた剣を肩口まで引きあげる。 「ふっ!」 吐く息と共に大きく足を突き出し、剣を相手の喉元に伸ばす。刃が男の喉に食い込もうとした瞬間、鋭い剣の擦れる音が響き、下からすくい上げた男の剣が私の剣の叩ききる。折られた剣を男に向け放り投げると、私は後ろに飛び間合いを大きくとる。 「折れた・・・福音の剣が・・・ふぅ・・・どうやら、噂、いえおとぎ話だったようですね」 男は振り上げた剣を足元に落とすと、彼は大げさに溜め息をつき、私に向けた肩をすくめる。 「ああ、もういいですよ・・・あなたには、もはやなんの価値も無いようだ。余計な手間かけさせずに大人しく死んでくれたまえ。苦しむのはいやだろう」 剣の柄を軽く握りしめた男に、私は小さく笑みを浮かべる。 「だから言ったでしょう・・・あなた達は、何も知らないと」 私の言葉に男が小馬鹿にした笑みを浮かべた瞬間、男の右腕が剣をつかんだまま血しぶきと共に切り飛ばされる。 「我が刃を奪うことなど、汝らには敵わぬことだ」 私は指を伸ばした左腕を顔の前まで持ち上げ、ゆっくりと袖を肘の辺りまでまくる。私の顔の前で服の下から現れた腕は硬質化し、白く透き通る色に変色している。 「我が左腕こそ、我が起こした罪の証。我が左腕は、神への贖罪の誓いとして捧げた」 「馬鹿な・・・話と違う・・・」 「汝の犯した過ちは・・・」 「ゆ、許してくれ」 尻餅をつき、無様に後ずさりする男に私は一歩一歩近づき、左手を向ける。 「汝の命であがなうがいい。背神者達の先兵よ」 「俺は何も、何もしてな・・・」 い、の形を口に残し、男の頭が体から離れ地面に転がる。鮮やかと呼べるほど滑らかな切断面より、真っ赤な鮮血が噴水のように吹きあがる。 「ひっ・・・ひぃ・・・」 男の後ろいた集団は、リーダがあっけなく殺されたことにより恐慌状態に陥り、一斉に逃げ出そうとする。が、私は難なく男達の前方塞ぐ形で回り込む。そして、血に汚されることのない純白の剣をゆっくりと男達に向ける。 「汝らの罪が、現世での命で贖えるものならば、来世での救いも有ろう」 私は剣を振り上げる。 「神の前で懺悔するがいい。そして、神の偉大なる慈悲に祈るがいい」 私は剣を一閃させ、男達の首を切り飛ばしていく。 返り血で真紅に染まる私の体、そして神に与えられし剣は、その中でも白さを失う事なく細かな燐光に包まれている。 動くもののいなくなった空間で、私は小さく身震いし地面に膝をつく。先程まで二の腕の半ばほどまでしかなかった白き光りが、今は肘の辺りまでに及んでいる。 「本当に贖うべきは私自身の命・・・神よ、未だ私の罪を償うことは敵いませぬか。せめても情けがお有りなら、この命、今、この瞬間に、御前に差し出したいと思います。それで友を・・・シルメアを救えるのならば・・・」 私はゆっくりを血溜まりの地面に体を横たえる。薄れゆく意識、かすれる視界の中、朱と白のコントラストのみが意識の中に残った。
・*・†・*・ 降りしきる雨・・・凄惨な殺戮が行われたあの場所で、私達は激しい雨に打たれながら言葉を重ねていた。あの時・・・あの場所・・・私の罪の場所で・・・ 「ねぇ、クロレア。あなたは自分のことを責めすぎだわ。神は貴女をとっくにお許しになっているわ。その腕だって・・・」 「いいえ・・・この腕は、私の罪の証。たとえ神がお許しになられようとも、私自身が、自信の罪を許すことが出来ない」 私は地面に跪き、横たわる小さな少女の躯を抱き上げる。血を洗い流す度雨に打たれたその小さな体。それを胸に抱き、謝罪の言葉を繰り返す。 「私は救うことが出来た・・・この子だけでなく、この町に横たわる全ての人々を・・・私は救うことが出来たっ」 「いいえ、それは無理よ。誰か1人のせいでは決して無い。もちろん貴女のせいでも」 「違う、そうではない、そうではないシルメア。私なら出来たんだ・・・でも、何もしなかった・・・だからこんなことになってしまった」 「貴女はそれに逃げているわ。貴女の罪を認めたくなくて」 「いいえっ、違う!」 彼女の言葉を遮り、私は躯を抱き留めたまま大きく首を振る。髪に含まれ雨がそれに合わせ飛び散る。 「私には・・・私になら出来たんだ・・・それを・・・」 「そう。ならば、これから救えばいい。まだ、全てが終わったわけではないのでしょう?なら、それをすべき。ここで、悔やんでいても仕方ない・・・仕方ないわ」 「私に、まだ、何か出来ると?」 「ええ、貴女がそれを望むのなら」 私の言葉に彼女は大きく頷いた。 あの時、彼女と交わした誓い。それを守るため・・・私は今も、自信の罪を償おうと・・・あがきを続けている。
・*・†・*・ 「・・・そうね・・・シルメア、まだ終わっていない・・・まだ、貴女との誓いは何も果たされていない。だから、まだ生き続けなればいけない、そうよね・・・」 胸元のロザリオを握りしめ。小さく、呟く・・・
end of the story. thanks to you read. |