医者の多い村
著者:久我山 濯

 なんてこった。バスを乗り間違えた。
 初めての海外での1人旅。怪しげなドイツ語を駆使して、やっとホテルのある停留所の名前を聞くことが出来たというのに。上りと下りを間違えるなんて、サイテーだ。
「さて、これからどうしたものか」
 そのままバスに乗ってどんどんと郊外に連れて行かれても困るので、取り敢えず降りてしまったが、ここが何処なのかはサッパリ解らない。
 そうだ、上り方面に走って行く車をヒッチハイクしよう。テレビでよく見かけるが、外国の人はわりと嫌がらずに乗せてくれるようだし。
 ひょっとして、テレビの番組だから簡単に乗せてくれるのだろうか?

 俺の不安は、あっさりと拭われた。土埃の舞う農道のような道路を渡って、1台目。すぐに人の良さそうな老夫婦に乗せてもらうことが出来た。
「今からではもう遅くて暗いから、明日ホテルまで送ってあげるよ。今日は私の家に泊まるといい」
 本当にテレビのような、何とも旨い話になってきた。ここであっさり首を縦に振るのは無防備というものだが、雑談をしているうちにハイマーさんは医者だということが判ったので、厄介になることにした。身元身分がきちんとした人なら、大丈夫だろう。
 ハイマーさん同様年季の入った赤いワーゲンは、俺達を乗せて、田舎道をあっちへフラフラ、こっちへフラフラ道草しながら彼らの住む村へと帰って行った。

 ”ハイマー外科”は、こう言っては失礼だが、俺の想像よりも結構ちゃんとした病院だった。ワーゲンをガレージに入れると、ハイマーさん夫婦は「旅行の記念に」と近所の人を呼び集めて、ささやかなパーティーを開いてくれた。
 奥さんが電話を掛けると、すぐに8人もの人が集まった。丁度夕飯時だったのが良かったらしく、招かれた人たちが、スープやら魚やらカナッペやら様々な料理を携えてくるので、あっと言う間にパーティーの準備は整ってしまった。料理は最高! 1番のヒットはステーキだった。
「久々のご馳走だ、皆景気良くやろうぜ」
 赤ら顔でそう言ったのは、小児科医のシュタイナーさん。「直樹ももっと飲んで、飲んで」と俺のグラスにワインを注いでくれたのは、産婦人科医のミュラーさん。
「いやあ、ここの村はお医者さんが多いですねえ」
 いい気分だ。俺は「これが日本の”イッキ”だ!」と、もう何杯目なのか解らない甘酸っぱいワインを”イッキ”に喉に流し込んだ。

「どうだ?」
「眠っているようだぜ」
 仰向けになった俺の顔を覗く気配がして、咄嗟に開こうとした瞼に力を入れた。
 サークル1の酒豪の俺が、完全に酔い潰れる訳がない。ワインで朦朧とした意識は、集中こそ出来ないが、周囲の気配を感じ取るくらいは出来る。
 頃合いを見て、派手に飛び起きて皆を驚かせてやろうと思いついた。
「さっきの”ステーキ”とどっちが美味いかなあ」
「内臓は俺に回してくれよ」
「わかってるさ”内科医”さんよ」
 何が?と皺の寄りそうな眉間をなだめて、俺は暫く皆の様子を窺うことにした。同時に体が宙に浮く。3人掛かりでベッドまで運んでくれるようだ。
 なんとも心地の悪い揺りかごに乗った気分だ。やがて、ドアの開く音と共に冷たい空気が頬を撫でる。寝室だろう。誰かが戸棚を開ける音がする。
「よっこらしょ」
 横たえられたベッドは、冷たくて硬かった。しかも、何故か美味しい匂いがする。毛布を掛けてくれる気配もないし、ここは一体何処なんだ?違和感と不安感を蹴飛ばすように、ついに俺は両手を揚げて上体を起こした。
「グーテンアーベント!!」
 やっと目を開けた俺の目が最後に見たのは、驚きに目を見開いたミュラーさんと自分の首から生えた刃のついた金属の台所用品。
 確か”包丁”という名前だった。酔っていてもそのくらいは解るのだ。


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